若いころ。
痛いまでの恋しさを、足らぬ言葉で補うように、あふれる情熱を行動に表すことが、愛情の示し方だと思っていた。それも当たってはいたのだろう。
若さはいつも、過ちを内包しながら、見ようによっては滑稽な、真剣さに生きていた。悲喜劇。
歳を経て。老成したのだと、苦笑とともに言い訳しながら、若い日々を懐かしむころ。
努めても努めても、空回りする心に戸惑った。
情熱が冷め、どう足掻いてもそれを掻き立てることができなくなった、と思った。
心の中の情熱がなくなった、と思った。
俺の生命の中に燃えるものが残り少なくなった、と思った。
今。
俺の中にあるのはやはり、愛情であった、と知る。
自分から積極的に働きかけることはなくなった。だが、想ったときの切なさ、愛おしさ、温かさは、その性質を語るものだろう。
「熱さ」よりも「ぬくもり」に傾いた感情である。
ひとは愛情に情熱が伴わなくなったとき、それを残念に思う。愛がなくなったと、絶望すら感じる。
しかし、情熱に代わって生まれたものを発見したとき、愛の不滅を知る。
あなたを受け入れ。
あなたの笑顔を俺の喜びとし。
あなたの涙を俺の哀しみとし。
変わらぬ想いを抱く。
あなたを愛しています。
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