二月はどうもいけない、と思う。
思い出してみると、鬱が極まった年もあった。それがなくとも、不思議と波風の立つ季節であったようだ。
二月はいけない、と断定する。
日記と銘打っておきながら、更新せずにいた。
精神の状態がbottomだったわけではない。
身体に何らかの不調があったわけでもない。
失踪していたわけでもない。
仕事は相変わらず嫌いで、面倒だ面倒だと言いながら、こなした。
妻は相変わらず可愛くて、笑える存在で、俺を慰めてくれる。
娘は相変わらずおしゃべりで、俺の10倍くらい、妻の5倍くらいの会話をする。
家庭でも職場でも問題は起こしていない。
それどころか、好天に恵まれた土曜日のある日、家族を連れて遠出までした。
何がいけないのか?
眠い。退勤してくると、食事・入浴などの日常の行事をなし、この頃の気に入りとなった漱石の著作を少し読む。すると、耐えがたい眠気に襲われる。
漱石がいかんのか?(汗)
いやいや・・・薬なしで眠れるのは歓迎すべきことであるのだが。
俺自身の楽しみのためにPCを立ち上げることがなくなってしまっていた。
満たされない想いはそこらへんからやって来るのか。
久しぶりにフリーメールのチェックをしたら、600件あまりも迷惑メールがフォルダーに溜まっておった。一瞥したところ、エロメールの類は減り、偽ブランド購入のお誘いが多い。流行りすたりであろうか。
久しぶりにひとのブログを眺めた。
たくさんの春の花で飾られたページに、かの地はもう春らんまんであると知る。
春先の行事に忙殺されるひとに、巡る季節を感じる。
ああ、それだ。
長い学生時代、われわれは必ず春にひとつグレードを上っていた。
社会人になった今は、それがない。
若いころの慣れ性が、昨年と変わりないであろう今年の自分を焦らせるのだ。たぶん・・・。
ひとと比べて足踏みしている自分に思える。
だが、本当に進んでいないのか?
微細な変化に気づく、精神の柔軟性を尊びたい。
心の触覚を意識して、いつもの毎日を新鮮に感じたい。
芽吹き、色鮮やかに変化する春の風景が、それを後押ししてくれるものと思う。
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