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mixiに完全移行しました。
不特定多数の人は閲覧できません。あしからず、です。
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退勤途中で。
信号待ちに停車したら、後ろから来た車が追い抜いて、行ってしまった。

無性にがっかりした・・・。
一息つくと、それを思い出している。
「しよう」ではなく「したい」と、レベルは一つ落ちた。
俺は君と約束したから、それを守る。

空元気だったのか・・・。些細なことで極端な反応をみせたことに、自分でも不甲斐ない。
というか、それほどに未だ不安定な状態なのだと用心したい。
昨日の快晴を懐かしむ。雨。
今日は本当ならば家族で出かけるつもりでいた。春の花を求めて南に・・・という予定であった。
あいにくの雨降りで断念。車から濡れる花を見ても憐れだろう、から。

朝から雑誌を眺めたり、読んだり。
娘の乱れた部屋を一緒に片付けたり。遊び始めて、また散らかしたり。
PCを上げて、ネットサーフィン並びに自分のブログを更新。
気ままに無駄な時間を過ごす。


午後は妻の要請により、妻の車のタイヤ交換をする。
替えねば替えねばと思いながらも、妻に催促されてからやっとする。例年のことだ。
妻子も暇を持て余していたのか、俺の作業を見物しに出てきた。濡れるゆえ玄関ポーチから見物しなさい、と言い置き、小雨模様の中作業。
見つめられながらの作業に、やがて可笑しさを感じる。

何故、見る?
俺の働くのが珍しいか?

「先生はいつも雨か雪の中で、タイヤ替えてるね!」と妻が笑う。
「怠惰だからです!」と俺が答える。
妻がその意図をつかみかねて理由を尋ねる。
怠惰、とは違うのかもしれん。必要に迫られるまで、面倒なことは後回しにする性質なのだ、と妻に説明した。
妻は苦笑し、俺の性向のおかげで娘は、タイヤ交換は悪天候になってからするものだ、と理解するかもしれないと、冗談を言った。
まさしく。
願わくば、反面教師であるように。


ぬるい雨だった。
冬の雨なら凍えていただろう。
二月はどうもいけない、と思う。
思い出してみると、鬱が極まった年もあった。それがなくとも、不思議と波風の立つ季節であったようだ。
二月はいけない、と断定する。

日記と銘打っておきながら、更新せずにいた。
精神の状態がbottomだったわけではない。
身体に何らかの不調があったわけでもない。
失踪していたわけでもない。
仕事は相変わらず嫌いで、面倒だ面倒だと言いながら、こなした。
妻は相変わらず可愛くて、笑える存在で、俺を慰めてくれる。
娘は相変わらずおしゃべりで、俺の10倍くらい、妻の5倍くらいの会話をする。
家庭でも職場でも問題は起こしていない。
それどころか、好天に恵まれた土曜日のある日、家族を連れて遠出までした。

何がいけないのか?
眠い。退勤してくると、食事・入浴などの日常の行事をなし、この頃の気に入りとなった漱石の著作を少し読む。すると、耐えがたい眠気に襲われる。
漱石がいかんのか?(汗)
いやいや・・・薬なしで眠れるのは歓迎すべきことであるのだが。
俺自身の楽しみのためにPCを立ち上げることがなくなってしまっていた。
満たされない想いはそこらへんからやって来るのか。

久しぶりにフリーメールのチェックをしたら、600件あまりも迷惑メールがフォルダーに溜まっておった。一瞥したところ、エロメールの類は減り、偽ブランド購入のお誘いが多い。流行りすたりであろうか。
久しぶりにひとのブログを眺めた。
たくさんの春の花で飾られたページに、かの地はもう春らんまんであると知る。
春先の行事に忙殺されるひとに、巡る季節を感じる。


ああ、それだ。
長い学生時代、われわれは必ず春にひとつグレードを上っていた。
社会人になった今は、それがない。
若いころの慣れ性が、昨年と変わりないであろう今年の自分を焦らせるのだ。たぶん・・・。
ひとと比べて足踏みしている自分に思える。
だが、本当に進んでいないのか?


微細な変化に気づく、精神の柔軟性を尊びたい。
心の触覚を意識して、いつもの毎日を新鮮に感じたい。
芽吹き、色鮮やかに変化する春の風景が、それを後押ししてくれるものと思う。

連日の温かさに驚く今日この頃であった。

昨年ささやかな造園をした庭に、完成の一点を加える如く、俺は小さな沈丁花の苗を植えた。
それは予想通りのたくましさを見せ、ここ数日のうちにちらほらと花を咲かせ始めた。
新潟の実家の庭先に、日陰をものともせず、無数の花を咲かせていた大きな沈丁花。強く刺すような香りを俺は嫌った。
今、俺の庭先からあの香りをかすかに漂わせて、早い春を知らせてくれる。やはり好きな香りとはまだ言えないが、亡き母と育った古い家を思い起こさせる、切なく懐かしい香りになった。
俺の好みはおそらく、近いうちに変わるのだろう。

若いころ。
痛いまでの恋しさを、足らぬ言葉で補うように、あふれる情熱を行動に表すことが、愛情の示し方だと思っていた。それも当たってはいたのだろう。
若さはいつも、過ちを内包しながら、見ようによっては滑稽な、真剣さに生きていた。悲喜劇。

歳を経て。老成したのだと、苦笑とともに言い訳しながら、若い日々を懐かしむころ。
努めても努めても、空回りする心に戸惑った。
情熱が冷め、どう足掻いてもそれを掻き立てることができなくなった、と思った。
心の中の情熱がなくなった、と思った。
俺の生命の中に燃えるものが残り少なくなった、と思った。

今。
俺の中にあるのはやはり、愛情であった、と知る。
自分から積極的に働きかけることはなくなった。だが、想ったときの切なさ、愛おしさ、温かさは、その性質を語るものだろう。
「熱さ」よりも「ぬくもり」に傾いた感情である。

ひとは愛情に情熱が伴わなくなったとき、それを残念に思う。愛がなくなったと、絶望すら感じる。
しかし、情熱に代わって生まれたものを発見したとき、愛の不滅を知る。


あなたを受け入れ。
あなたの笑顔を俺の喜びとし。
あなたの涙を俺の哀しみとし。
変わらぬ想いを抱く。
あなたを愛しています。
今年のヴァレンタイン・デーは、俺のような義理チョコ専門の男には昨日で終わったようなものだ。
といっても、俺の家では2月14日はヴァレンタイン・デーというよりは娘の誕生日である。


午前中、歯科受診。先日傷めた歯の治療。
外れた銀の下は思ったよりひどい状態ではないようだった。
汚れた部分を少し削られた。
少し、なのだが、とても痛かった。俺は痛みに弱いのだ。
まったく、歯医者とは恐ろしい場所である。できるかぎり近寄りたくない場所のひとつだ。
新しい銀冠のできるまで一週間。仮止めをされ、いくつか注意をされて解放された。
①固いものを食うな。
②楊枝・歯間ブラシ使用の禁止。
である。

帰宅後、妻からチョコレートのプレゼント。さまざまな形と味の、小粒のチョコレートの詰め合わせで、いつもの店の品物である。
昨日もらったチョコレートを合わせて、それぞれ少しづつ食べた。それほどチョコレート好きではないので、大部分は家族の腹に入ることとなる。
やはり妻のくれたのが一番旨いと思う。

午後はしばらくネットで遊んで、勉強する。

夕食は娘の誕生日の祝い。誕生日の近い俺の祝いも兼ねて。
スヌーピーのアイスクリームケーキにろうそくをたてて、娘の好物ばかり並んだ。
鶏の唐揚に、筑前煮に似た根菜の煮物、ジャガイモの味噌汁。娘の渋い好みである。
俺のためにはレタスの「馬小屋サラダ」。馬が食うのかというくらい量の多い、俺向けのレタス料理。


何事もなく、静かに過ぎる一日。生まれたことの意味を想う。

強い南風の吹く一日。春一番かもしれない。

ヴァレンタイン・デーである。
古代ローマのヴァレンタイン司教が、禁止されていたローマ軍兵士の婚礼をした咎で処刑された日である。現代の日本においては、女性がチョコレートを贈って男に想いを伝える日とされる。
 ものものしく定義することもないのだが・・・。

今年のヴァレンタイン・デーの戦果。六個。
職場から。三つ。関係する各部署からの義理チョコ。および、お客さんから義理チョコが一個。
仲良しの藤から。いつもと同じ、袋入りのチロルチョコ。
それから、謎の一個。宵の雨に濡れる車の運転席側のドアミラーに、レジ袋に包まれて、下がっていた。この謎の一個は、以前職場にいたくりんちゃんからのものである、と携帯に来ていたメールで判明した。
一瞬「どこかの若い娘が俺を見初めたのか?俺も捨てたものではないなあー」とどきどきしたのだが、がっかり(←失礼)である。

どれもこれも義理ばかりである。
返しをせねばならん。
義理チョコなどは日本人の好ましくない点が現れた事項である、と思う。やめればいいのに。
でも・・・もらったときは少し嬉しいから、あってもいい(苦笑)。
でもでも・・・あくまでもらえるのが嬉しいのであって、チョコレートがほしいのではない。だから、チョコレートでなくてもいいと思う。
酒とか煙草をもらえたら、もっと嬉しい。

春めいて暖かい。
今日も美しい青空が広がった。光に春の匂いがする。


昼飯と一緒におやつまで食う。小豆蒸しパンという、あんこを挟んだ黒糖蒸しパンである。いかにも、この大手パン会社本社の所在する東海地方の雰囲気がする。
食い終わりにガチリと硬いものが歯に当たった。吐き出してみると、鈍く銀色に輝く金属片である。
見ていた同僚が「異物やろ!? 製造元にクレームせなあかん」と忠告してくれた。
パンの袋に書かれたフリーダイヤルの番号を眺めつつ、携帯を取り出してみる。気が進まないが、異物混入ならば、被害を拡大させないためにも、知らせるのが順当だろう。
金属片を指先でいじりながら、ダイヤルを仕掛けて・・・気づいた。
金属片は歯の銀冠だったのだ。
確認してみるとなるほど、奥歯の銀冠が無くなっておった。
製パン会社に電話しなくてよかった!

しかし・・・、不運である。
この状態からいって、他の歯にも異常がある可能性が高い。
長い歯科通院を想って、げんなりする。
きちんとブラッシングをし、歯間ブラシも通していたのになあ・・・。
ま、早めのお手当て。多忙にかまけて歯医者などご無沙汰であったゆえ、いい機会だ。

好きな食べ物はなんだろう?
  俺の好きなのはレタスである。
好きな色はなんだろう?
  俺の好きなのは青かな。
どんな音楽を最近聴いたのだろう?
  愛の死@トリスタンとイゾルデ@カラヤン(笑)。
どんな洋服を着ているのだろう?
  今はユニクロのスウェット。ダークグレーのやつだ。
  出勤は、黒に薄くて細い白のストライプの織りの入ったスーツを着ていった。
  白いワイシャツにラベンダー色のネクタイをしていた、と記憶している。
  勤務中はいつものナガイレーベン(苦笑)。
どんな車に乗っているのだろう?
  トヨタのイプサム。マイホームパパみたいで、あまり気に入っていない。
指先は冷たいのだろうか?
  俺の指先は冷たい。

 
全く知らないわけではないと自負していたのに。
何も知らないことに気づいた。

それらを知りたいと思う。

大寒というのに、暖かい。

インフルエンザの大流行と、どこかの病院での事件の影響か、うちの店の加湿器の設定は70%である。暖房と相まって、とても暑い。
温度如何よりも、湿度があかんのだ。蒸し暑い。
寒い地方の生き物である俺にとって、厳しい状態であった。
というか、湿度に弱い点では俺もウイルスと大差ない。
首の後ろと背中、脇の下にじっとりとした嫌な汗をかいた。


今日は俺の姉の誕生日である。
宵にメールをしておいた。
「40代突入おめでとうございます。云々」
なかなか返事が来ず、俺は寂しかった。40代と書いたのがいけなかったのだろうか、と悔やんだ。

夜更けになって返事が来た。
子供たちは39歳だと思い込んでいるから40代とは言ってはいかん、ということが書いてあった。
あの姉も年齢を気にするようになったか、と感慨深い。
それにしても、甥たちは引き算ができんのか、と不甲斐ない。

ま、俺にとって姉は永遠のマドンナみたいなものだから(笑)。
39でも40でも構わねぇけど♪

俺が妻に問題を提起して、中一日を挟んだ。
俺の勤務形態の都合とはいえ、一人ずつゆっくり考える機会がもてたことは、幸いであったと思う。

妻の話は冗長であった。
同じ「喜怒哀楽」という言葉で表現されるものであっても、人によってその色合いや温度が違う。夫婦の近しい関係であっても、それは免れない。
俺はそれが哀しい。
人と人とは何故、ぴったりと同じ感覚を共有できないのだろう?
同じ人間という種であっても、男と女では違うのか?
違う育ちをしたことが影響しているのだろうか?
それぞれが共にいない間の経験が、そうしているのだろうか?
俺はそれが歯がゆい。
そう、妻の話はとても歯がゆかった。

俺は妻の感覚を同じように感じることは出来なかったけれど。
腑に落ちた、というにはまだ間があったけれど。
納得したかというと、そうではないけれど。
理解することは出来た。
違うことがいけないのではない。違いを認めていないこと、知っていないことがいけないのだ、と思う。

多分、俺が不満を言ったことで、それも妻にとってはよりにもよってな分野についてだ、妻の気持ちに波風がたったことと思う。傷ついたといってもいいだろう。
俺もかつてそうだった。
傷つくのは悪いことではない、と思う。
誰かを傷つけるのも悪いばかりとはいえない、と思う。

どんな波紋が広がるのか、澱みに何が生まれるのか、まだわからない。


ただ、妻が俺の言うのにいくらか考えを巡らせ、答えをしめしてくれたことはありがたいと思う。
相互に働きかけ合ううちは、関係の発展性が存在しているからである。
大寒。
節季とは異なり、比較的暖かい一日であった。


近年の厳しい状況に俺の職場も外れることない。
上司が退職してからの後釜はまだ赴任してこない。ひとが決まっているのは決まっているのだが、諸事情により着任が遅れ続けているのだ。
乏しい人員で仕事を回していくのに、誰もが不安を感じている。
各々が頑張るほかないのである。

先輩と一緒に仕事をしているときのこと。
「なー、俺らってあやしいよなー」と先輩が言った。
『あやしい』という言葉の意味が俺にはよくわからなかった。別に挙動不審なわけでもなし、身分もはっきりしておる。怪しくも、妖しくもない。
先輩はよくこういう謎の表現を使用する。
「あやしいっていうのは?」と尋ねる俺。
「○○サンがいなくなったしさー」と答える先輩。
上司の○○サンが退職した所為で、残りの面々だけでは危なっかしいと言いたかったらしい、とわかる。
「そうですなー」と相槌を打ちながら、仕事を続ける俺。作業中は言語脳の働きを小さく取っているゆえ、反応が鈍いきらいがある。
「でもそれって、俺に対して失礼な言い方でもありますよねー」と先ほどの会話が消滅する間際にやっと、返す。
「そーかー?あーそうやなー」と先輩も言語脳が働いていないもよう。
先輩と俺の会話は遅々として進まない。
「君があやしいちゅうより、俺があやしいんやでー」と先輩が最前の発言を修正補強説明する。
「先輩があやしいと困りますよ」と俺がたしなめる。
俺があやしいとか、先輩があやしいとか、そればかりを口先だけで繰り返しながら、作業を終えた。
そばにいたスタッフは白けきっていた。意味のない議論に参加しないだけ冷静でよろしいのだが。
作業自体はあやしさもなく、無事終了。

結果は我々があやしくないことを証明した格好になったのだが。自分のやっていることに一抹のあやしさを感じ続けていることも、プロフェッショナルとしてはまっとうな姿であるように思う。


風呂上がりに大きなイチゴを一パック食う。妻と子の分は別に食べてしまったからとのことで、遠慮なくかぶりつけた。
赤くピカピカしたイチゴ、噛むとさくりと良い音がした。瑞々しい。


日課の終わった後、妻を書斎に呼び、夫婦として、男と女としての話をする。
実際の事件を端緒に話を始める。あのときの俺の正直な気持ちを語った。それを踏まえて、俺の望んでいる性のありようを述べる。
妻に要求するのは以下の二点。
①あのときの所業はなにゆえにであったか。その答え。
②妻の望む性のありようはいかなるものであるか。その意見。
妻は「そんなこと話し合わないとだめなんー?」と言う。だめなのだ。
しばらく考える時間をくれという妻に、きっと考えてくれと云い伝える。
幸せに暮らすために、齟齬を少しづつ埋めていくべき会話が必要なのだ。どんなに照れくさく、難しい問題であっても。

今回はたまたま俺が提案をした。いつか妻のほうから提案があったとしても。
相手のために一生懸命なんらかの答えを出そうとし続けることに、愛が存在するのだと思う。
妻が何と言ってくるのか、楽しみである。
少し、忙しかった。

朝から暖かかった。雪にならず雨になった。積もった雪が埃に汚れて見苦しい。
風の強い一日であった。


娘の、幼稚園のお気に入りの男友達は「りゅうちゃん」だと聞いていた。
今晩、娘の話に出てくる男は「としくん」である。
不審に思い「りゅうちゃんはどうしたの?」と尋ねたら、娘の中では彼は過去の男になっているらしい。変なことをするから嫌なのだとか、そういうことを言う。
どんな変なことをするのか、極めて興味深いのであるが、娘は詳しくは語らない。語るほどのこともないのか、忘却の彼方なのだろう。
とにかく、としくんである。
「としくんが好きなの?」と尋ねたら、「大好き」と言う。
「じゃあ、お父さんは?」と尋ねたら、「割と、好き」と言う。

『割と』というのが、俺の神経に引っかかる。少なくとも、『大好き』よりは下位に位置する表現であろう。
としくんが俺のスイッチをONにした。

娘はとしくんの人となりについて要領を得た話をしてくれない。よって、妻に「としくんてどんな男?」と尋ねてみる。
「同じ班の子みたいやよ」と妻が教えてくれた。
なるほど、幼稚園での生活を共にしているうちに、好意が芽生えたらしい。
「かっこいいんか?」とさらに尋ねる。娘は肯定したが、妻はあまり知らないのか「目が二つで・・・」とか、まったく笑えん形容をして誤魔化した。軽くイラっとくる。
「どんな家の息子だ?父親は何をしている?」とさらに妻に尋ねる。あほなことを質問している自覚はあるが、気になるのだから訊いてしまう。
妻は「知るわけがない」と苦笑する。『わけ』というところにアクセントをつけたのに、イライラっとくる。
素知らぬ顔で、俺の剥いてやったりんごをぱくついている娘にもイラっとくる反面、可愛くてしかたない・・・のがイラっとくる(?)。
妻が、俺はとしくんには異様な興味を抱くのに、自分の好きな男には興味を示さない、と笑いながら文句を言った。
苦笑する。失礼しました、という感じだ。


好きな男って、奥さん(笑)
Sというバタ臭い顔をした若い俳優のことですか?
それともDVDではまったTという俳優ですか?
もしかして、いきつけのスーパーにイケメンのレジバイト学生がいるとかか!?
だったら奥さん、禁足令を出します♪

あの日の告白には、多分に勇気が必要であった。
やはり・・・といっていいか、俺の言葉はこころをそのまま映したものとは言い難く。極めてそれに近かったけれど、内容が根本に近いほど、ぴったりな表現とは離れていた。

夫婦に性の問題は重要であるはずである。わかっていても、日常を共にするうちに、独特の照れが出る。問題は後回しにされていくほどに、ますます言いにくく、溝は深くなっていく。
おそらくそうなのだ。広くなるのではなく、深くなるのだ。

妻にはまだ話していない。いや、妻とはまだ話し合っていない、か。
何もしないより、何かした方がいいと思う。
が、一度切れた経験が足踏みをさせる。

ふわふわと雲か煙のように頼りなく。俺とはそういうもの、である。


-5は-3に戻せばいい、とか。
好きものの亭主と淡白な嫁だ、とか。
意気込まなくても、ありのままを語ればいいだけなのに、と言う声が聞こえてきそうである。
所詮へその下の問題である、高尚に語るほどのものか、、と思い。いやいや、語るほどのものなのだ、と思い・・・。

少なくともこれが何かの進展をもたらさない限り、見せる面がない。そう思われる。

2009年を迎えて。俺の好んでいたブログが三つなりとも休止した。
驚いた、というのがまずの感想である。
残念である、というのもそうである。

当り前のように訪れていただけに、もの寂しい感じのする。

何がそうしたのか、詳しく語り合いたい気持ちがあるにはある。俺の、知りたい気質、というものか。
聞くことしかできないであろう俺、回答はなく、あったとしても自分の中にしかないこと、それらを思い起こし、慎みを持とうと思う。


適切な距離にて、見守り続けよう。俺がかつてブログを一歩降りたとき、彼女らがしたように。そっと見守っていくのがいいだろう。

浅さ、深さ、頻度はあれども・・・、
あなたを想わない日はありません。

(後付け)
連休最終日は大荒れの天候であった。
終日、雪。時折、ぱちぱちと硬質な音をたてて、あられが降る。

午後、妻と娘を連れて買い物に出た。激しい雪の中の外出であった。
道路にはさほど積もっていない。が、慎重な運転の車が多く、流れは滞りがちであった。
日用品の買い物を終え、車に戻る。
依然として、大粒の雪が降り続いていた。
帰るのも惜しくなり、帰ってしまうとすることもなく家にこもりがちになるゆえ、海岸に向けてドライブ。

強い季節風の中、浜に寄り添って忍ぶような漁村を走り抜ける。荒天のこと、漁もないらしい。同じくして、観光客の姿ももちろん見えない。
人気の消えた寒々しい通りを抜けると、鈍い色の海が見えた。
高い波だった。防波堤は波に洗われ、わずかに存在しているのみ。
荒れる海はどろりとしたスープのように、蠢いている。
岩だらけの波打ち際には、波の華ができる。強い季節風に吹き飛ばされて、波間をゆっくりと舞い上がったり枚落ちたりを繰り返していた。
いつかの冬、希望を間近に感じながら、妻と二人きりで、このような白い海を眺めたことを思い出す。
場所は違えども・・・同じように暖かい缶ジュースを買い、車の中で小休憩。
二人が三人になり、車内は賑わしい。
雪は絶えず、暗い海に降っては融ける。


夕方より始まった雷が激しくなり、われわれの頭上を巡る。
稲光と、過たずの雷鳴ののち、暗闇に閉ざされた。停電であった。
娘を寝かしつけた妻が、壁伝いに階段を降りてきた。不如意な足音を立てて、俺の部屋にやってきた。
「停電・・・」と不安そうにしている。
すべての明かりと温みの消えた闇は深い。
窓の外の積雪の、ぼんやりとした明るさを頼りに寄り添い、電力の回復を待つ。
一度落雷したせいか、激しかった雷はぴたりと止んだ。不安な二人は交わす言葉もなく、闇を見据えていた。

静かで暗い、お互いの温みしか頼るものはない。しかし、不安は不思議な興奮をもたらしている。
長い停電であった。

ふんころがしの独白。
「毎日毎日、うんこ丸めて・・・・何やってんだ、俺?」

(注:偶然見かけたテレビアニメでのセリフである。幻聴ではない。)


ツボった。
昨夜のメールの絡みもあって、激しくツボった。
ちょ、やめて。職場でそれは。丸めてないけど。

腹抱えて笑いたいときほど、TPOが許さん。苦痛であった。
下向いて歩いていたけど、たぶん顔は笑っていただろう。不気味だ。



というか、こんなことで喜んでいる自分があほくさくて笑える。

新年は雪に覆われてであった。

今朝仕事を終えて帰宅。
届いていた年賀状と新聞を眺める。
正月特有の分厚い紙面、別編集の紙面。沢山の新年を寿ぐ文字と絵が並んでいる。この願いのままに、今年が安寧なものであるように、祈る。
年賀状はいつもとほぼ同じメンツである。
学生時代からの知人友人、大学の元同僚・上司などが多い。彼らの賀状の余白に書かれた近況を読むのは、俺にとっては結構つらい作業だった。
己の仕事を完成に向かって着々と進めている様子に、羨望す。
羨望は罪だという。自らのうちにくすぶり続ける煩悩の強さに苦笑する。

彼らと俺を比べることにどれほどのことがあるだろう?
俺は俺に与えられた場所で、そのときどきを懸命に生きれば、それでいいのだろう。


寝当直に近かったのだが、さすがに疲れて昼過ぎから寝る。
夕方に起きだし、食事。
「タンホイザー」を聴きながら本格的に飲み始める。

一人は寂しくもあり、気楽でもあり。

家を揺らす強風の夜を越して、寒い朝である。雪のチラつく大みそか。

昨日妻子を里に帰した。
俺が年初から仕事だからである。亭主の留守に幼い娘とさびしい正月を過ごすより、実家の祖父祖母と過ごすほうがずっといいだろう、と思ったゆえである。いつか妻と交わした、正月の里帰りは小正月に、という約束は俺自ら破棄したわけである。
事情のため、正月の料理は用意していない。餅を煮て食うくらいだ。それが出勤前の慌ただしい元旦にはふさわしいだろう。
いつもより食材を多めに備蓄してある冷蔵庫をみて、妻の心づかいに感謝する。

夏目漱石の「こころ」をゆっくりと読みながら、大晦日の夜を過ごしている。何度も読み返して、内容を味わいながら考えながらの読書である。やっと「先生」の遺書の部分に差し掛かっている。
それにしても・・・「先生」死ぬ前によう書いたり!
この遺書によって全ての謎が明らかにされるとなると、興奮を覚える。
「先生」と「奥さん」の恋愛と謎めいた夫婦のありよう、親友の死。教科書に載る退屈で冗長な小説と思ったら大間違いの、大ドラマチック小説である。
それが、さすが文豪の名をほしいままにするだけあって、ちょっとしたこころの動き、うまく表現しにくいだろうこころの様子が、それしかないと思える的確な表現で簡潔に書き連ねてある。文章の彩、日本語の粋を感じて、目をとめて感心することしきりである。


少しの酒をすごし、大歳らしく今年を振り返ってみる。
ロクでもない歳であった、というのが第一の感想である。それには夏の一時病床に伏したことが多大に影響している、と思われる。
普段、いつでも死ねる、いつでも死んでいい、と思っているはずだった。しかしながら、生命の危機にまさに遭遇して、恐れを抱いた。思い出になりつつある今では、それを「ロクでもない」出来事だったと吐き捨てるように思い出す。
俺は生命があるにもかかわらず、俺の思うような望ましい何事もなせないことに拗ねていたのか。望んでいることが何なのかおぼろげながらわかり始めた今は、静かにそのように思われる。
その一つのために、また明日から俺は働くのだ。

平凡な日常に埋もれる幸せもあった。それらをひとつひとつ摘みあげ、大切に胸に抱くことのできるのを喜ばしく思う。
あのとき、毎日俺のベッドに寄り添ってくれた妻のことを。
あのとき、俺を励ましてくれたひとの言葉を。
あのとき、俺を安じてくれたひとたちのこころを。
あのときの笑顔を。
あのときの涙にぬれたありがとうを。
それぞれ、忘れることなく俺のうちにある。
確かに俺の足元を照らし、暗い道を行く勇気をくれる。
だから、俺は明日から生きるのだ。

行く年のあれもこれも済んだこと、といつか詠んだ。今の俺はこう詠む。

行く年の あれもこれも 我の糧


街灯の光の中に、雪がきらりと光り舞う。
きりりと冷えた大気の清しさの中、2008年を見送ろう。


《閲覧者のみなさまへ》
このページをご覧になってくださり、ありがとうございます。
このところは更新も滞る日が続いておりましたが、俺は元気にしております。
これからもこのペースでのろのろと営業していこうと思います。それが俺には負担にならず、ちょうどいいようですから。
来年もゆるく見守っていただければ幸いです。
インフルエンザが例年になく、早くから流行しているようです。
みなさまには、体調にくれぐれも留意なさって、新年をお迎えください。

飯島愛さんの訃報を聞く。驚いた。

漏れ聞こえてくる彼女の前半生の激しさを想うと。
ひとの過去を断じる資格は誰にもない。それを承知で見解を述べてみると、彼女のそれは罪深い過去であった。なにより彼女自身にとって。
晩年の彼女の変化は、過去の罪を知ったゆえか。俺はそんな気がする。


辛かった昔を糧にできるとき、あれだけの修羅場を乗り越えたのだからと、自分を奮い立てせられるときはいい。健康な精神であれば、過去を内包しながら、前を向いて生きていける。
だが或るとき、過去が自分に襲いかかってくるときが訪れる。自分を責め苛む。
ちくちくと、鋭く。長い疼きをもたらす。
錆びたナイフでえぐられたように、その毒が自我を侵食する。

お前は誰にも許されない罪人なのだと、嘲笑する声が聞こえる。
誰にも自分を開いて見せられないと、自分の中にもぐりこむ。
荒涼とした寒い風景が広がるのみ、だ。

孤独な罪人。
捕えられ罰せられたなら、どんなに楽なことだろう?
世間に知られていない犯罪を犯したことを知る辛さ。
隠し、逃げ続けなければいかない者の哀しさ。

誰の手も汚れているのだ。
落ちない血糊で穢れている。
マクベスのように。アラビアの香を擦り込んでも、腐臭は隠せないのに。
そして、誰もが独りなのだ。


飯島愛・・・いかにも作り物の乳房を曝し、嘘くさいセックスをしてみせるAV女優であった。底抜けの明るさが痛々しい若い女であった。
飯島愛・・・物憂げでありながら、すべてを受け入れてくれると思わせる、かすれた声で話す女だった。何もかも見きった年増女のように。
それらは「飯島愛」の作り出した幻想にすぎないのかもしれない。
だが、彼女の寂しさは俺にも少し解る。

願わくば、彼女の魂魄が安らかであるように。
美しい晴天。鮮やかな青空が広がった。


先日さわりだけ読んだ「こころ」を本格的に読み始める。
ほどなく戦慄する。

この「先生」は俺のことだ!

終末を、「先生」の行く末を知っているだけに、彼の心象がどのように描かれていくかが興味深くも、読み進めるのが怖い。

退職する上司の送別会があった。
俺がメンバーの出欠をとり金を集める係、専門用語では幹事をいう、の一人であった。今日の日を迎えるまで、仕事の合間にちょっとした手間がかかった。

ひとつは、どこの部署まで声をかけるか、という問題であった。そこそこ長く役職にいた人であるから、人によっては社内全体に声をかけるべきだという人もおる。本人が「おおごとにしないでくれよ」と、どちらとも取れない表情で言うから、迷った。
結局は、本人の言葉通り、関連の深かった部署のみに声をかけた。個人的に情報を得て、参加の意思を伝えてくる人もあったから、これはこれでよかったと思う。
本音は、時期的に忘年会シーズンであるし、大所帯の会場を抑えるのが難しそうだったから、であるとも言える。
もうひとつは、主役の上司の偏食に起因する問題である。上司は魚が嫌いである。よって肉、または居酒屋ということになる。焼肉にしようと幹事の間で話がまとまる。すると、上司は炭火焼七輪の焼肉は嫌だと注文をつけてくる。短気な上司は、肉の焼けるのを待っていられないのだ。俺もそうだから大きな声では言えないのだが業界の人の特徴とも言えよう。

まったくもって、面倒な役目であった。他人の面倒を見るのが嫌いな俺であり、何より大嫌いな上司の世話だと思うと、余計にかったるい気分になった。


送別会自体はうまくいった。
翌日の勤務のあることとて、みなピッチが速かった。注文を取りまとめるのに忙しかった。
俺と卓を囲んだメンバーは、よく食う連中であった。また、俺よりも生焼けの肉を好む連中であった。「おいおい、それはレアというよりブルーだろ!?」というくらいの焼き目で、肉がどんどん無くなる。
あまり食べられず終了。
その後は、帰りたがらない上司につかまり、延々説教の聞き役である。
花を抱えたおっさんと男二人がミスタードーナツで、長々とコーヒーを飲み続ける・・・という苦行が待っていた。
地獄であった。
苦手な上司への最後のご奉公、と自らに言い聞かせ、耐え忍んだ。

そうして、俺の忍耐の甲斐もあり、上司氏は上機嫌で帰宅してくれたのでありました。


もう疲れた。

白い靄に包まれた朝を迎えた。
繭の中にいるような、柔らかい、どこか優しい朝だった。気温は高め。
昨夜の大根の始末については、妻から叱られずであった。むしろよく始末してくれたと、感謝された。
出勤も靄の中。
対向車の、ぼんやり潤んだ黄色いライトに照らされて。俺の方も靄の中、優しいライトを照らしているのだろう。


どうも勤労意欲の湧かない日であった。
酒を飲みたいと、恥も外聞もなく騒ぐ人を見て、俺も飲みてぇよと心の中で毒づきながら仕事をする。武闘派の香りのする仕事であるが、今のところ、パンチもキックももらっておらん。

昼飯を食いながら、mixi散歩。世間が狭いゆえ、限られたところしか巡ってはおらん。
久しぶりにアクセス解析を見た。知らない人が何人か訪問しているもよう。ここはごくわずかの教えた人しか見ていないを思っていたので、ちょっと焦る。というか、不安になる。
人見知りが激しいので、見知らぬ人を警戒するのである。一言プリーズ♪
 
作曲家の遠藤実氏が亡くなったとか、知人のブログにて知る。世事に疎いというなかれ。
北国の春・・・北国というと北海道や東北地方を想うが、あれは北陸の山間部の春を歌ったものではないか。本当のところは知らないが、何となく俺はそう思ってきた。
♪届いたおふくろの小さな包み♪
俺のおふくろの包みはいつも大きくて、ぎっしりと食料品が詰まっていた。おふくろの荷物にはあまり季節感はなかったはずだが、春先の学校の始まる前のふわふわした季節のこととしてのみ思い出される。
雪の残る初春の田舎で、食の太い大きな息子のために、食品だけを詰め込んだ母を今懐かしく思い出す。

ふるさと、おふくろ、はつこい。
昭和が遠く見えてきた。


今晩からは「こころ」を読む。

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