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大寒。
節季とは異なり、比較的暖かい一日であった。


近年の厳しい状況に俺の職場も外れることない。
上司が退職してからの後釜はまだ赴任してこない。ひとが決まっているのは決まっているのだが、諸事情により着任が遅れ続けているのだ。
乏しい人員で仕事を回していくのに、誰もが不安を感じている。
各々が頑張るほかないのである。

先輩と一緒に仕事をしているときのこと。
「なー、俺らってあやしいよなー」と先輩が言った。
『あやしい』という言葉の意味が俺にはよくわからなかった。別に挙動不審なわけでもなし、身分もはっきりしておる。怪しくも、妖しくもない。
先輩はよくこういう謎の表現を使用する。
「あやしいっていうのは?」と尋ねる俺。
「○○サンがいなくなったしさー」と答える先輩。
上司の○○サンが退職した所為で、残りの面々だけでは危なっかしいと言いたかったらしい、とわかる。
「そうですなー」と相槌を打ちながら、仕事を続ける俺。作業中は言語脳の働きを小さく取っているゆえ、反応が鈍いきらいがある。
「でもそれって、俺に対して失礼な言い方でもありますよねー」と先ほどの会話が消滅する間際にやっと、返す。
「そーかー?あーそうやなー」と先輩も言語脳が働いていないもよう。
先輩と俺の会話は遅々として進まない。
「君があやしいちゅうより、俺があやしいんやでー」と先輩が最前の発言を修正補強説明する。
「先輩があやしいと困りますよ」と俺がたしなめる。
俺があやしいとか、先輩があやしいとか、そればかりを口先だけで繰り返しながら、作業を終えた。
そばにいたスタッフは白けきっていた。意味のない議論に参加しないだけ冷静でよろしいのだが。
作業自体はあやしさもなく、無事終了。

結果は我々があやしくないことを証明した格好になったのだが。自分のやっていることに一抹のあやしさを感じ続けていることも、プロフェッショナルとしてはまっとうな姿であるように思う。


風呂上がりに大きなイチゴを一パック食う。妻と子の分は別に食べてしまったからとのことで、遠慮なくかぶりつけた。
赤くピカピカしたイチゴ、噛むとさくりと良い音がした。瑞々しい。


日課の終わった後、妻を書斎に呼び、夫婦として、男と女としての話をする。
実際の事件を端緒に話を始める。あのときの俺の正直な気持ちを語った。それを踏まえて、俺の望んでいる性のありようを述べる。
妻に要求するのは以下の二点。
①あのときの所業はなにゆえにであったか。その答え。
②妻の望む性のありようはいかなるものであるか。その意見。
妻は「そんなこと話し合わないとだめなんー?」と言う。だめなのだ。
しばらく考える時間をくれという妻に、きっと考えてくれと云い伝える。
幸せに暮らすために、齟齬を少しづつ埋めていくべき会話が必要なのだ。どんなに照れくさく、難しい問題であっても。

今回はたまたま俺が提案をした。いつか妻のほうから提案があったとしても。
相手のために一生懸命なんらかの答えを出そうとし続けることに、愛が存在するのだと思う。
妻が何と言ってくるのか、楽しみである。
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(後付け)
連休最終日は大荒れの天候であった。
終日、雪。時折、ぱちぱちと硬質な音をたてて、あられが降る。

午後、妻と娘を連れて買い物に出た。激しい雪の中の外出であった。
道路にはさほど積もっていない。が、慎重な運転の車が多く、流れは滞りがちであった。
日用品の買い物を終え、車に戻る。
依然として、大粒の雪が降り続いていた。
帰るのも惜しくなり、帰ってしまうとすることもなく家にこもりがちになるゆえ、海岸に向けてドライブ。

強い季節風の中、浜に寄り添って忍ぶような漁村を走り抜ける。荒天のこと、漁もないらしい。同じくして、観光客の姿ももちろん見えない。
人気の消えた寒々しい通りを抜けると、鈍い色の海が見えた。
高い波だった。防波堤は波に洗われ、わずかに存在しているのみ。
荒れる海はどろりとしたスープのように、蠢いている。
岩だらけの波打ち際には、波の華ができる。強い季節風に吹き飛ばされて、波間をゆっくりと舞い上がったり枚落ちたりを繰り返していた。
いつかの冬、希望を間近に感じながら、妻と二人きりで、このような白い海を眺めたことを思い出す。
場所は違えども・・・同じように暖かい缶ジュースを買い、車の中で小休憩。
二人が三人になり、車内は賑わしい。
雪は絶えず、暗い海に降っては融ける。


夕方より始まった雷が激しくなり、われわれの頭上を巡る。
稲光と、過たずの雷鳴ののち、暗闇に閉ざされた。停電であった。
娘を寝かしつけた妻が、壁伝いに階段を降りてきた。不如意な足音を立てて、俺の部屋にやってきた。
「停電・・・」と不安そうにしている。
すべての明かりと温みの消えた闇は深い。
窓の外の積雪の、ぼんやりとした明るさを頼りに寄り添い、電力の回復を待つ。
一度落雷したせいか、激しかった雷はぴたりと止んだ。不安な二人は交わす言葉もなく、闇を見据えていた。

静かで暗い、お互いの温みしか頼るものはない。しかし、不安は不思議な興奮をもたらしている。
長い停電であった。

新年は雪に覆われてであった。

今朝仕事を終えて帰宅。
届いていた年賀状と新聞を眺める。
正月特有の分厚い紙面、別編集の紙面。沢山の新年を寿ぐ文字と絵が並んでいる。この願いのままに、今年が安寧なものであるように、祈る。
年賀状はいつもとほぼ同じメンツである。
学生時代からの知人友人、大学の元同僚・上司などが多い。彼らの賀状の余白に書かれた近況を読むのは、俺にとっては結構つらい作業だった。
己の仕事を完成に向かって着々と進めている様子に、羨望す。
羨望は罪だという。自らのうちにくすぶり続ける煩悩の強さに苦笑する。

彼らと俺を比べることにどれほどのことがあるだろう?
俺は俺に与えられた場所で、そのときどきを懸命に生きれば、それでいいのだろう。


寝当直に近かったのだが、さすがに疲れて昼過ぎから寝る。
夕方に起きだし、食事。
「タンホイザー」を聴きながら本格的に飲み始める。

一人は寂しくもあり、気楽でもあり。

昨夜からの冷たい雨は夜更け、明け方かもしれない、に雪に変わった。
うっすらと雪化粧した朝である。


早朝に通院。
このところ安定している。よって減薬される。そこはかとなく嬉しい。

病院の帰りに書店に寄る。先日より憧れていた新しくできた書店である。二階建ての真新しい大きな店だ。
二階はコミックやゲーム関係であるらしい。俺には関連の薄い分野である。階段を登らなくて済む。
一階は低めの書架が並べられていて、見通しがよく、心地よい。ところどころにベンチがあり、書物の内容をゆっくり確認できるようになっている。昔は立ち読みにしろ座り読みにしろ嫌われたものだが、本の売り上げが伸び悩んでいる今、中身を試し読みさせるのもサーヴィスの一環とされるのかもしれない。
また、新書ブームが続いていると聞くのもなるほど。新書のレーベルが増え、費やされる書架も驚くほど増えている。気を引く派手な書名の新書が並ぶ。一点開いてみると、活字が以前より大きく思えた。内容も易くなっているように思えた。
俺が学生のころの新書はとっつきにくい、学術書のような書名であった。中の文章も難解であったように思う。
高校に入ったころ、新書を初めて買った。背伸びしたような、大人ぶっているような気がして、恥ずかしかったという覚えがある。
古畑種基博士の「血液型の話」という名著である。もう古典の部類だろう。

そんなことを思い出しながら新書の書架を過ぎ、目的の書物を探す。
漱石の著作が目的である。
「猫」や「坊ちゃん」などの洒脱な作品は今日のところ遠慮したい。「明暗」にしようかとも思ったが、「こころ」にした。
漱石のコーナーに続いて並んでいた、中島敦にも心惹かれた。「山月記・李陵」を一冊取る。
ついでに太宰の「人間失格」も。これは平台に積まれていたから目にとまっただけであるが。
文学史の教科書のようである。実のところ俺は、著名な往時の作家の作品を読み果たしたことがなかったのだ。唯一読んだのが、読まされたのが正解だが、「高瀬舟」だけである。
「こころ」も「舞姫」も「山月記」も高校の現代文の教科書に掲載されており、一部を読んだ。ただし、それは受験の必須科目として、高度に技術化された読み方をしただけのことである。記憶に残っていても、感動の記憶はない。
恥ずかしながらこの年にして、文学始めである。


雪が止むことはない。融雪のない細い道路にはそこそこの積雪がある。
タイヤ交換をせねばならない。
ゆっくり構えているうちに積雪を見て、慌てて交換するのが、俺の例年である。今年も同じく。
時折強くなる雪と、叩きつけるあられに手を止まらされながら、二台のタイヤ交換を終えた。寒かった。
毒づきながら作業する俺を横目に、娘は芝庭を転げまわって、小さな雪玉を作って遊んでいた。子供は寒くないようであるな・・・。

今晩はおでん。
練りもの、揚げ、大根、こんにゃく、子供の好きなソーセージやロールキャベツも。色とりどりに湯気を上げる種が嬉しい。
熱燗をひとつ。上機嫌である。
今夜は、香気高い中島敦の作を読もうと思う。
晴れ。しかしながら、低い入道雲がいくつか、空を覆っていた。蒸し暑い。

午前中、仕事。
友達のメールで、昼飯はそうめんが食いたくなった。
正午間近だったので、慌てて妻に電話。「昼飯はそうめんで」と伝える。
妻は「ご飯あるからー、それ食べないとー」と困った様子であった。
ま、仕方ない。
熱い味噌汁と、納豆、冷奴の昼食となった。どうやら、妻も暑さに気だるく、料理をする気が起こらなかったようだ。ありあわせのものと思われる。しかし・・・大豆健康法にでも目ざめたのかと思うほど、大豆製品満載の食卓であった。

娘が幼稚園で育てていた、ミニひまわりが咲き始めた。
娘のものは、種が悪かったのか、土が悪かったのか、ひょろひょろとした茎のひまわりである。持って帰ってきたから、小さな手で一生懸命、毎日忘れずに水遣りをしていた。努力が実った、とでもいおうか。
咲き初めた貧弱なひまわりを見て、愛情を掛けることの意味を知る。


夕食は冷やし中華のリクエストで、昼間のリベンジ。
妻が薄焼き玉子を失敗して、何だか分厚い金糸玉子の載った料理になった。それも家庭の味である。
それにしても、妻は何時になったら、料理の腕が上達するのだろう。毎日、サボっているわけでもないのに。

・・・もうこれは、才能だね、奥さん♪

何でも立派にこなす妻では、俺は申し訳ない気分になってしまうから。これはこれでいいのだろう。
出来てない妻の方が、俺は可愛いと思っている。
蒸し暑い。最高気温は33度であったとか。


午前中出勤。
職場の温い冷房には辟易する。何度もブログで託っているが。
作業服が結構暑いのである。盛夏にはいつも半裸で仕事をしたいと思う、俺である。
暑いっちゃあ文句を言い、寒いっちゃあ文句を言う。わがままなものである。


午後より近場にドライブ。
海辺は暑くらしいので、山手に行く。

さすがに山手は10度ばかり気温が低い。車のエアコンよりも外気の方が心地よかった。
野生のガクアジサイがところどころに、青い涼しげな花を揺らしていた。
シーボルトが西欧に紹介した日本原産のこの花は学名を、彼の妻の名・おたきさんにちなんで「オタクサ」と言うそうだ。これは妻が俺に教えてくれたこと。ロマンティックな逸話である。
高くに登り、眼下を見下ろすと、杉の濃緑色の合間に、合歓の薄紅色の花がたくさん見られた。
梅雨明けを告げる花と言われているゆえ、今が盛りなのだろう。愛らしいふわふわした花である。そして、どこか儚げな幻想的なイメージのある花である。名前のせいであろうか?
山から雫を落とす名もなき小さな滝の、清らかな白糸模様に涼しさを感じながら。

小一時間のドライブであったが、涼感のある旅となった。山の息吹を胸いっぱいに、リフレッシュできた。
明日からも頑張れる。
曇天。しかも33度の気温。
本日の職場はこころもち空調を強めにしてあったようだが、汗が滲み出た。屋外は蒸し風呂のようであったろう。妻の職場はさぞかし暑いだろうと、案じることであった。
蝉だけが元気である。

B型の人が見る自分の取り扱い説明書、のような本が売れている話を聞く。そこから、血液型の占い話に花が咲いた。
どこの職場にもいる(?)採血しないで血液型を当てるのが上手な人。俺の職場にもいるのだが、彼女にAB型だろうと断言された。
AB型のひとには悪いが、そう言われるとちらっとイラッときますなー。何故なんでしょうねー。
「A型ですが?」と無感動な応えを返した。すると、A型には思えない、と爆笑された。
失礼な女である。
根拠のない占いに、俺まで翻弄された昼休みであった。

午後からの小会議にて。予定がひとつ延期になることを告げられた。
向こうさんの仕事の進みが巧くいってないからなのだが。こちらとの絡みも鑑みて、早めに決断を下さねばならない。これからの一週間で何とかせねばならん、と再確認&再要請。
向こうさんに渡している以上、それしかできない。焦れる。


早めの帰宅。
風呂上りに今年初めてのスイカを食う。甘くて美味。
娘など、薄緑になるまで食っていた。行儀が悪いので、途中で取り上げたが。

妻と仕事について話をしようかなと思った。が、今日の職場の様子を話す妻の様子があまりに楽しげであったので、やめておいた。
この間の今日で、俺がいろいろ不満を言うのも、いちゃもんを付けているようで不愉快だろう、とも思ったからだ。
とすると、いつ言うのだろう、俺は。
言わなくてもいいかな、と言う気にもなり始めた。
友達が心配してくれて、いろいろとアドバイスをくれたことにより、不満の度数も減ってきたからかもしれない。

それにしても・・・。
妻の職場の仲間の話。仕事内容についての話。
娘のする、つたない言葉での幼稚園の話。
「聴く」というのは、取り留めのない話であればあるほど、その中の重要性を探すのに苦労し、その中の普遍性を知るのに難儀する。妻の真実を知るための努力は惜しまないつもりであるが、正直疲れた。

もっと語彙を増やしたまえ、奥さん♪
そして、順序よく話したまえ。
とても国文科卒とは思えんぞ。というか、それは関係ないか・・・。
晴天。爽やかな乾いた風の吹く、秋のような天気であった。

父の日に合わせての、幼稚園の参観日。午前中の予定はそれである。
娘と二人で幼稚園に登園。
我先に案内をする娘に、幼稚園への馴染む様子が見て取れた。

「おかたづけ」と「ようい」をして、かばんを片付けたり、ズックを取り出したりするのであるが、園庭にでる。
しばらく自由に遊んだ。
娘は友達も多いようであった。俺は見守るばかりであった。
見渡してみると、結構父親たちが参加している。父の日であるけれど、昨今の家庭事情を鑑みてか、父親限定にはしていないのは勿論のことであったのだが。
それから、親子で体操、というかお遊戯(?)のような踊りをした。
照れくさかったが、父親たちはみなそうなのだろう。適当に廻ったり、腕を挙げたりしておった。俺も同じである。
園庭での行事は更に続いた。ゲームをしてみたり、手遊びを親子でしてみたり。
照りつける日差しが強くなり、時折吹く爽やかな風に汗の乾くのを感じるころ、園内に入った。

教室では、礼拝へと続く長い仏教系の歌と標語の斉唱。仏教色はかなり強い。
だが、ひとつひとつの標語はけして奇妙なことではない。
ありがとうと言います。
人の話を聴きます。
仲良くします。
そのようなものである。
娘も真面目な顔をして、標語を唱えていた。赤ちゃんめいた頬っぺたの娘の真面目な様子が可愛らしく、微笑を誘うことであった。ひときわ大きな口を開けて、先生をしっかり見ながら唱えていたと見えた。

それから、父へのプレゼントとして、かねてから作っていたといううちわをもらった。
うちわには娘の作った折り紙の作品が貼られており、花のような絵も描かれていた。
「上手にできているね。ありがとう」と言ってやった。嬉しそうに笑っていた。


帰宅後、かるく昼食。そうめんを食した。
妻に幼稚園の様子を話して聞かせた。一緒に行けばよかったと、羨んでいた。
父の日だということで、普段ふれあいの不足している俺と娘を気遣ってくれたのか、一人の時間を楽しみたかったのか、どちらもなのだろうが。
後悔先に立たずでしたね、奥さん♪


午後は予定通りの、造園業者へ出向いて樹木選び。
シンボルツリーには松も梅も選ばず。株立ちの樫の樹にした。
樫は精が強い樹で、常緑であるから。ふさわしいと思った。
一本立ちでないところがいい、と妻も賛成してくれた。
そのほか、玄関脇にそよごの樹を、やはり株立ちでひとつ。赤い実のなる樹だ。
小鳥などが訪れてくれると楽しいと思う。
和室前の庭に入れるのに、夏椿を一本。白い愛らしい一日花を次々に開かせるしゃらの樹である。
俺にとっては娘のイメージである。可愛くて初々しく、日々成長する娘に似ている。
後のこまごましたところは、造園業者の一存に任せる。予算が決まっているので、その範囲で他にも樹を入れてもらうことになっている。

少々疲れたが、その後一応職場に顔をだしておいた。dutyではないのだが。

一日、充実していたと思う。
黄昏の空に一部、ガーネット色に輝く部分があった。その中に筋雲がいくつか。銀色に輝いている。
美しい気象にしばし見とれた。

早朝覚醒がある。
このごろでは4時にもなれば、外は白々としてくるゆえ、「ま、いいか」と思う。
初々しい太陽が現れるのをベッドで、眠るでもなし起きるでもなし、感じるのも悪くはない。
でも、この早朝覚醒はルボックスの所為だと思うのだけれど。どうなのだろうか。


tachiaoi.JPGタチアオイの花が咲き始めた。その先から陽が昇る。
次第に明らかになる花の色の美しさ。濃紅色、薄紅色、ほのかな桃色、白。
俺の好きなのは、ほのかな桃色である。
清明な朝の大気の中、瑞々しく息づいている。
一日頑張ろう、と南の方に向かって、挨拶をする。




今はまだ、暑いことは暑いが、入梅にも至らず。まるで秋のような爽やかな風の、時折吹き抜ける。
タチアオイの花が頂上まで咲き終わったら、ヒマワリの季節だ。

たいていの出勤時、コンビニで軽い食べ物(小袋の米菓子類)と煙草を買う。
今朝はたまたまコンビニには寄らなかった。
煙草だけは切らすわけにはいかない。何せ職場には煙草は売っていないのだから。
道路端の自動販売機で買うことにした。

そう!タスポの初仕事だ!
コンビニではなく自動販売機に寄ったのは、それが目当てだったと言っても良い。
新しいカードを手に入れた、子供みたいだなと自嘲する。
金を入れ、銘柄を選び、タスポをかざす。機械的な女の声がガイドしてくれる。
今までしゃべることなど無かった煙草の自動販売機が、しゃべることに軽く違和感と可笑しさを感じた。

車に乗り込もうとすると、後ろから来た自転車の老人に話しかけられた。全くの未知の人である。
「兄ちゃん!タスポ持っているんけぇ?」
『はい』
「わし、まだ持ってえんさけぇ、店まで買いに行かなあかんのや」
『不便でしょう?』
「ほやってー。邪魔臭いことんなったなー」
方言の強い老人であった。だが、未知の老人との会話は楽しかった。
面倒なカードことタスポで、楽しいことがひとつ。


職場での世間話でもタスポのことが出た。
我々の職場の喫煙率はかなり高いのだ。

お姐さんの一人が言う。
未成年者喫煙防止のためとはいっても・・・。
極悪の不良息子ならば、喫煙しない兄に向かって「お前の名前で作っとけや」と言うのではないか。兄も弟の振る舞いを恐れて、「はい」と作ってしまうのではないか。
そんなことを述べた。
自動販売機の識別コードが厳しければいいが・・・。そんなこともありうるかもしれんな。
お姐さんのブラックジョークにみなで苦笑した。
俺の家のカレンダーのひとつは、クルマ屋の持ってきたものである。
大きな日付のスペースが使い易いもので、重宝している。
一枚一枚の裏には、表の絵柄の、動物のペーパークラフトが付いている。楽しめるものだ。

今日、五月の一枚をちぎった。娘に与えた。
娘は幼稚園で製作などを習ってくるようになり、格段に手指の器用さが増したと思う。
はさみで慎重に、動物のパーツを切り取っていた。今月は、ちなみにアライグマであった。
組み立ては少し手伝ってやらねばならないだろう。


不思議なことに、娘の左利きは俺とは少し違う。
箸は左右自在。書字・描画は左のみ。右手で書きものは全くできないようである。
俺は箸だけは左でしか扱えない。書き物は下手くそな文字ならば、左でも十分書けるのである。
そして、娘も俺もはさみは右なのである。
これはいいことである。左利き用の刃物は高価であるから。

そんな話を妻に驚きを持って話した。
妻は縫い物のことを心配している。縫い物の左利きは不便なのだろうか。俺にはよくわからないのだが。
そんなことを心配するあたり、キルトをする妻らしいと思われる。

梅雨のはしりかと思われるような、蒸し暑い一日の始まりであった。
しのつく雨と、ねつい湿った大気が体にまとわりつく。
午後になって雨はやみ、太陽が戻ったが湿気は相変わらずで、過ごし辛いものだった。
また俺の職場には冷房は入っていないのだ。

旧HPでリンクしていた人たちのうち幾つかのものが放置状態である。コメント欄などが荒らされているのを見るのは忍びない。
その部分だけの管理はしたらどうか、と思うのだが。或いはすぱっと止めてしまうか。
・・・所詮は他人事である。


帰宅は遅くはなかったが、一日忙しかった。それだけだ。

一日の終わりに聞くのは、エディット・ピアフのベスト盤(?)である。
声量の豊富な甲高い、少々濁った声が歌によく合っている。巻き舌のフランス語は訛っているのか、そうでないのかは、素養のない俺には判別不能であるが、それも趣があると今日は感じる。
録音が古いため、どんなに工夫したところで、その古さは隠せないのが、また味のあるところ。

恋にすべてをかける歌。
恋を失くして嘆く歌。
情熱の異様な響きは彼女特有である。彼女の生涯を想えば、むべなるかな。

男などというものは浮気な生き物で、常に目移りしているようなものである。しかし、いつも戻ってくるところには戻ってくる、厚顔なものでもある。
男の性質を知り尽くして、呆れながらも見守っているような。フランス女の嘆息よ。

日曜日は地域の運動会があった。
出かけない。
疲れ来たから。昨夜の夜更かしによる勉強が、俺の肉体を蝕んでおった。

朝から、娘の面倒を見たり。買い物に行ったり。家族のために動いた。


午後からは、妻のパッチワークをするのを見ながらお茶。
冷たい珈琲を入れ氷を浮かべてみた。妻も喜んでくれた。
珈琲が駄目になった俺が、飲めるようになったことがまた、妻の喜びを誘ったのかもしれない・・・俺の思い込みだが。
むぅっと暑いゆえ、このようなものが良い一日であった。
運動会もさぞかし暑かったことだろう、と夫婦で話し合った。

今度の妻の作品は、少し進化している。正方形つなぎではなく、直角二等辺三角形を正方形につないで作る作品である。一工程多い。
小さいものだが、どんなものができるのか、見ていると楽しみになる。


その後、娘と遅めの昼寝をした。
窓から入ってくる皐月の風が心地よく。自然な眠りに誘われた。1時間半ほど眠ったか。
英気が養われたと感じる。
(後付)
俺は最近パソコン(窓機)に触れられなかったのにはわけがある。
妻がオークションにはまっているからである。
パッチワーク用のハギレなどをいくつもいくつも入札しては、パソコンの前から動かない。
オークションでは実際の生地の様子などわからないのではないかと、俺は思うのだが。妻は生地の種類とブランド(?)でわかるらしい。
市価よりいくらか得なのだという。

そして落札した商品が毎日のようにメール便で届いている様子である。
来るたびに中をあけては歓声を挙げ、喜んでいるのを眺める俺である。ま、悪いものではない。

大した趣味もない俺から見れば、妻の楽しみは羨ましい限りだ。
それにしても、小さめのベッドカバーとやらが出来上がっていないのに、そんなにハギレを集めてどうするつもりなのだろう。
妻が言うには、これくらいのハギレならば、もう一つベッドカバーを作ればすっかり無くなってしまう、とか。
娘がまだベッドを使っていないのに、ベッドカバーはいくつも要らないと思う。洗い換えのためか?

ベッドカバーばかり作らないで、小物や別なものを作ってはどうか、とアドバイス。
「小物はすぐ(作業が)終わってしまうやん。つまらんのやもんー」とか答える。
「マットは、作ったものが踏まれるのはヤやしー」とも言う。
「タペストリーは飾るほどの腕ちゃうしなー」と小首をかしげる。

だから、ベッドカバーなのか・・・。笑ってしまう。
なんか・・・、可愛かった。
(後付)
麗らかな美しい春の一日。
花見に出かけた。妻と娘と俺と、義母とで。この句読点の付け方に俺の意識が入っていると思われ。

足羽川の堤はサクラ並木で花のトンネルとなる。
ひとには知られていないが、日本一の長さを誇るサクラの堤なのである。
冷える日もあったゆえ、花は5分咲き、といったところか。
それでも、薄いピンク色の霞掛かりたる堤の美しさ。幻想的な白昼夢の世界である。

sakura01.JPGsakura02.JPG青空、サクラ、川面に反射する陽光。誰もが微笑んでそぞろ歩く。

4年も前になるだろうか・・・足羽川の南の堤防が切れて、大水害になった。
街並みは既に元通りだが、河はそうはいかない。
橋こそかけ替わり、何でもないように風景に溶け込んでいるが、河川敷ではまだまだ工事が続いているのだ。
美しい桜並木の片隅にどうしても目に入ってしまう工事の現場。水害の爪あと。
あのときの悔しさ、やるせなさ。
暑い夏に、もくもくと泥と闘っていた人々を思い出させる。

足羽川の河川敷の屋台で、娘に綿菓子を買ってやった。
手と口の周りを砂糖だらけにして、全部食ってしまった。シナモロールの袋は後生大事に母親に渡して、しまっておいてくれと言った。


この花見は義母が連れて行けといったのであったが、楽しかった。
やっと、というべきか、帰る義母を駅まで送っていった。
土産に、銘酒「黒龍」を持たせた。
俺の大のお気に入りの酒である。口当たりがよく白ワインのようで、一升くらいは軽く飲めそうな良い酒である。
「こんな重いもの・・・」と義母は言いかけたが「ありがとうね」とか言い直しておった。
義母も俺に気を使うようになったらしい。お互いに同じようなレベルにあるな、と苦笑。
特急電車に乗りこむ義母を微笑んで見送ることができた。

妻も自分の母親とはいえ、家事のことなど相当ストレスを感じていたようである。
「やっと帰ったわー」と溜息交じりの感慨を述べた。
俺も激しく同意である。秘密を共有し、クスリと笑いあった。

それから、家族3人水入らずの花見をしに、別な花見スポットへ出かけた。
今度は城の桜である。
d855ee2f.jpgなぜ城には桜が似合うのだろう。
そして、城の桜はなぜこんなにも妖しいのだろう。
「桜の下には死体が埋まっている」とか、城の桜の下には手打ちにされた腰元の遺骸が埋まっていそうである。
リアリストな俺にそんな想像をさせるところも、城と歴史のロマンなのだろうか。
妻に話したら、「気味の悪いことばかり思いつくんやでー」と眉をひそめられた。

またまた娘に、屋台でブドウ飴を買わされた。ひとつ味見させてもらったら、カリカリして旨かった。



ちなみにこの城は、往年の角川映画ファンにはおなじみの城である。
「戦国自衛隊」。長尾景虎、後の上杉謙信が主を誅して、天守閣からヘリコプターに乗って去るシーン。あれはこの天守閣で撮影されたそうだ。

(後付)
妻の土産話からいくつか。

京都・奈良の寺院では内部の撮影が禁止されている。よって、仏像の写真などはない。
しかし、よく晴れた春の空の下、神社仏閣の佇まいはそれだけでも美しい。
旅愁をかられるものであった。

三十三間堂の堂々としたたたずまい。
内部に入ると、無数の観音像が迎えてくれるという。
圧倒され、理由のわからない涙が出そうだった、と妻が言った。
今回の旅行での妻の一押しの場所である。

そこから、祇園に向かって歩いた。近そうだったので、バスは使わなかった。それはたいへんな誤りであった、と八坂神社についたとき思ったそうだ。
八坂神社で引いたおみくじは・・・「凶」。
「もう、人生初めてでなー。びっくりしたわー」と妻が笑う。
ショックは受けていなかったようである。よかろう。
「凶より悪くなることはないから、むしろいいんだよ」と言うと、
「あーそうなんー」と、初めて知ったような顔をする。

  たびさきで 凶をひく妹 春かすみ(苦笑)
bd2bb549.jpg





祇園の小路ではお稽古に向かうのか、普段着着物に日本髪の舞妓さん(?)が小走りに歩いていたとか。
珍しく思ったか、写真におさめてあった。

B嬢に教わった「祇をん 川富味」にて、京のおばんざいの昼食。
高級料亭のようなたたずまい、美しい和服の女将さん、髪を剃った板前衆、白木のカウンターテーブルに、妻はひるんだようであった。
「すげーんだよ!」という形容で興奮気味に説明してくれた。
高そうなイメージとは裏腹に、値段は良心的であった。
出し巻き玉子と、白味噌の甘い汁物が絶品であったとか。唾のあふれてくる。うらやましい。
絶対に、絶対に、今度は一緒にそこに行こうと、俺から約束を申し出た。
dc6d4a60.JPG









それから、妻の二押しの場所。
京都からは離れるが、浄瑠璃寺。
こじんまりとした可愛らしい寺であった。
参道の両脇には馬酔木の花が盛りに咲いている。こんな地味な花が人を誘うように、誇らしげに見えるとは!
932a0db2.JPG998080d8.JPG







これもやはり、こじんまりとした三重塔がある。風雨にさらされた朱色がいい具合に渋い。
「鄙びた感じでなー。すごく落ち着くお寺だったんやけどー。時間がなかったから、ちょびっとだけ覗いてきたー」と妻は残念そうであった。



5511d303.JPG八坂神社の朱の大門。





bcc7ce18.JPG庭池に映える黄金の金閣。







fe0f899f.JPG北野天満宮の、色とりどりの布を掛けられた小さな牛の石像。







677c6b74.JPG龍安寺の静寂なる石庭は、沢山の観光客がいながらも、その幽玄は一向に変わりのない。






6fd8437c.JPG壮大な二条城。










dcb64a86.JPG花桃と新緑に彩られた朱の三重塔。










全てが美しい春の青空に映えて、美しい。

京都・・・日本人ならば、憧れと旅愁を掻き立てられずには居られない街である。


翌日に少しだけ廻った奈良は、鹿だらけだったとか。いかにも妻らしいぽーっとした感想である。
「鹿の毛って、固いんだよー」とか。
三輪山の神の使いの鹿。県庁の敷地内にも堂々と出入りをしていた、とわざわざ写真を撮ってきていた。
目の付けどころが違うな。



京都・奈良の話ばかりである。
大阪のホテルの様子や、何より大阪の友達の結婚パーティはどうだったのか、と思う。
「再婚同士だから、食事会みたいなもので、気軽だったよ。嬉しそうだった」と一言。
ホテルは、最寄の駅の出口を間違えて、探し回ったが、無事到着できたそうな。

メインのところがほとんど感嘆のない妻である。

(3/16後付)
妻が旅行をする。おそらく初めての一人旅であろう。

妻の学生時代の友達が大阪にいるのだが、彼女がこのたび目出度く再婚をするとか。
その結婚祝いの小さなパーティに招かれたのだ。
せっかくだから前日に出かけて、京都など散策してはどうか、という話になったのだ。

宿泊は大阪。ホテルの予約は俺がネットでしてやった。
京都観光の様子は、夫婦でネットでいろいろ見て調べた。
金閣・銀閣・二条城・龍安寺といった、ベタベタなメジャー観光地だ。
妻はそれらさえ見学したことがないという。

食事場所のことをB嬢に、あつかましくも教えを請うた。親切に教えてくれた。
お得な情報なども教わった。感謝しきりである。


妻の実家は、俺の実家も同じようであるが、旅行を頻繁にする家庭ではなかったそうである。
そして、若くして結婚し、やはり旅行などをしない俺と暮らして、今日まで。
今更ながらに不憫であると思った。

別な想いでは、一人で妻を旅に出すことなど心配でならなかった俺が、ようも許せるようになったものだ。
嫉妬深い、心配性の、若い俺を思い出しては、苦く幼く思った。
そして、当たり前のように旅行に出す今の俺を、「成長したのだな・・・」と少しだけ誇らしく思った。

携帯電話の機種変更をした。

五年間使った携帯電話である。
五年前、親しくしていた女医の要請で機種変更をしたものだった。
前の俺の携帯には写真機能がなかった。彼女はそれを厭うたのだった。
俺は甘い顔で要請を呑んだのだ。
要請というよりは、半ば強制的、命令であったかもしれん。
今となっては、苦くも懐かしい。

想い出とも今日でお別れだ。
想い出というほどでもないけれど。
女医のことが忘れがたくて機種変更しないでいた、わけではない。
単に、俺は電話とメールができればそれで足りていたから、だけのことだ。


職場では携帯電話を使うことはない。
退勤後の連絡すら、俺は伝書鳩状態であるから・・・。
《連絡先》第一希望:自宅固定電話
      第二希望:自宅固定電話!
      第三希望:自宅固定電話!!
なのである。
ま、通勤・帰宅その他、車内にいるときは限られているゆえ、さほど困ったことはない。
ところが、通話が少々長くなった日などは、充電が持たなくなってしまった。

久しぶりにauの店に出向く。
若い女の店員が、冬モデルへの機種変更は0円です、と早速教えてくれた。
新しい機能に興味のない俺は、当然無料の冬モデルだ。
さらりと見回って、カードのような薄い機種が気に入った。胸ポケットにも収まりそうな薄さである。
それぞれの色の名前も、ブラックカード・プラチナカード・ゴールドカードと、クレジットカードを意識したものになっていた。
生涯絶対にもてないであろう、「ブラックカード」にした。
店員が「このお品は、指紋などが目立ちやすいですが?」と確認してきた。俺は承知した。

新しい携帯電話の面が鏡のようだ。俺の顔を映している。


一番に君にメールした。
きっと楽しそうな顔が映っていただろう。
最後に楽しい想い出を残してくれた想い出深い老兵は、俺のスーツのポケットで静かに眠っていた。

三月にしては大降りの牡丹雪が舞っている。
積もりもせず、儚い。美しい。

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