家を揺らす強風の夜を越して、寒い朝である。雪のチラつく大みそか。
昨日妻子を里に帰した。
俺が年初から仕事だからである。亭主の留守に幼い娘とさびしい正月を過ごすより、実家の祖父祖母と過ごすほうがずっといいだろう、と思ったゆえである。いつか妻と交わした、正月の里帰りは小正月に、という約束は俺自ら破棄したわけである。
事情のため、正月の料理は用意していない。餅を煮て食うくらいだ。それが出勤前の慌ただしい元旦にはふさわしいだろう。
いつもより食材を多めに備蓄してある冷蔵庫をみて、妻の心づかいに感謝する。
夏目漱石の「こころ」をゆっくりと読みながら、大晦日の夜を過ごしている。何度も読み返して、内容を味わいながら考えながらの読書である。やっと「先生」の遺書の部分に差し掛かっている。
それにしても・・・「先生」死ぬ前によう書いたり!
この遺書によって全ての謎が明らかにされるとなると、興奮を覚える。
「先生」と「奥さん」の恋愛と謎めいた夫婦のありよう、親友の死。教科書に載る退屈で冗長な小説と思ったら大間違いの、大ドラマチック小説である。
それが、さすが文豪の名をほしいままにするだけあって、ちょっとしたこころの動き、うまく表現しにくいだろうこころの様子が、それしかないと思える的確な表現で簡潔に書き連ねてある。文章の彩、日本語の粋を感じて、目をとめて感心することしきりである。
少しの酒をすごし、大歳らしく今年を振り返ってみる。
ロクでもない歳であった、というのが第一の感想である。それには夏の一時病床に伏したことが多大に影響している、と思われる。
普段、いつでも死ねる、いつでも死んでいい、と思っているはずだった。しかしながら、生命の危機にまさに遭遇して、恐れを抱いた。思い出になりつつある今では、それを「ロクでもない」出来事だったと吐き捨てるように思い出す。
俺は生命があるにもかかわらず、俺の思うような望ましい何事もなせないことに拗ねていたのか。望んでいることが何なのかおぼろげながらわかり始めた今は、静かにそのように思われる。
その一つのために、また明日から俺は働くのだ。
平凡な日常に埋もれる幸せもあった。それらをひとつひとつ摘みあげ、大切に胸に抱くことのできるのを喜ばしく思う。
あのとき、毎日俺のベッドに寄り添ってくれた妻のことを。
あのとき、俺を励ましてくれたひとの言葉を。
あのとき、俺を安じてくれたひとたちのこころを。
あのときの笑顔を。
あのときの涙にぬれたありがとうを。
それぞれ、忘れることなく俺のうちにある。
確かに俺の足元を照らし、暗い道を行く勇気をくれる。
だから、俺は明日から生きるのだ。
行く年のあれもこれも済んだこと、といつか詠んだ。今の俺はこう詠む。
行く年の あれもこれも 我の糧
街灯の光の中に、雪がきらりと光り舞う。
きりりと冷えた大気の清しさの中、2008年を見送ろう。
《閲覧者のみなさまへ》
このページをご覧になってくださり、ありがとうございます。
このところは更新も滞る日が続いておりましたが、俺は元気にしております。
これからもこのペースでのろのろと営業していこうと思います。それが俺には負担にならず、ちょうどいいようですから。
来年もゆるく見守っていただければ幸いです。
インフルエンザが例年になく、早くから流行しているようです。
みなさまには、体調にくれぐれも留意なさって、新年をお迎えください。
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