俺が妻に問題を提起して、中一日を挟んだ。
俺の勤務形態の都合とはいえ、一人ずつゆっくり考える機会がもてたことは、幸いであったと思う。
妻の話は冗長であった。
同じ「喜怒哀楽」という言葉で表現されるものであっても、人によってその色合いや温度が違う。夫婦の近しい関係であっても、それは免れない。
俺はそれが哀しい。
人と人とは何故、ぴったりと同じ感覚を共有できないのだろう?
同じ人間という種であっても、男と女では違うのか?
違う育ちをしたことが影響しているのだろうか?
それぞれが共にいない間の経験が、そうしているのだろうか?
俺はそれが歯がゆい。
そう、妻の話はとても歯がゆかった。
俺は妻の感覚を同じように感じることは出来なかったけれど。
腑に落ちた、というにはまだ間があったけれど。
納得したかというと、そうではないけれど。
理解することは出来た。
違うことがいけないのではない。違いを認めていないこと、知っていないことがいけないのだ、と思う。
多分、俺が不満を言ったことで、それも妻にとってはよりにもよってな分野についてだ、妻の気持ちに波風がたったことと思う。傷ついたといってもいいだろう。
俺もかつてそうだった。
傷つくのは悪いことではない、と思う。
誰かを傷つけるのも悪いばかりとはいえない、と思う。
どんな波紋が広がるのか、澱みに何が生まれるのか、まだわからない。
ただ、妻が俺の言うのにいくらか考えを巡らせ、答えをしめしてくれたことはありがたいと思う。
相互に働きかけ合ううちは、関係の発展性が存在しているからである。
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