昨夜からの冷たい雨は夜更け、明け方かもしれない、に雪に変わった。
うっすらと雪化粧した朝である。
早朝に通院。
このところ安定している。よって減薬される。そこはかとなく嬉しい。
病院の帰りに書店に寄る。先日より憧れていた新しくできた書店である。二階建ての真新しい大きな店だ。
二階はコミックやゲーム関係であるらしい。俺には関連の薄い分野である。階段を登らなくて済む。
一階は低めの書架が並べられていて、見通しがよく、心地よい。ところどころにベンチがあり、書物の内容をゆっくり確認できるようになっている。昔は立ち読みにしろ座り読みにしろ嫌われたものだが、本の売り上げが伸び悩んでいる今、中身を試し読みさせるのもサーヴィスの一環とされるのかもしれない。
また、新書ブームが続いていると聞くのもなるほど。新書のレーベルが増え、費やされる書架も驚くほど増えている。気を引く派手な書名の新書が並ぶ。一点開いてみると、活字が以前より大きく思えた。内容も易くなっているように思えた。
俺が学生のころの新書はとっつきにくい、学術書のような書名であった。中の文章も難解であったように思う。
高校に入ったころ、新書を初めて買った。背伸びしたような、大人ぶっているような気がして、恥ずかしかったという覚えがある。
古畑種基博士の「血液型の話」という名著である。もう古典の部類だろう。
そんなことを思い出しながら新書の書架を過ぎ、目的の書物を探す。
漱石の著作が目的である。
「猫」や「坊ちゃん」などの洒脱な作品は今日のところ遠慮したい。「明暗」にしようかとも思ったが、「こころ」にした。
漱石のコーナーに続いて並んでいた、中島敦にも心惹かれた。「山月記・李陵」を一冊取る。
ついでに太宰の「人間失格」も。これは平台に積まれていたから目にとまっただけであるが。
文学史の教科書のようである。実のところ俺は、著名な往時の作家の作品を読み果たしたことがなかったのだ。唯一読んだのが、読まされたのが正解だが、「高瀬舟」だけである。
「こころ」も「舞姫」も「山月記」も高校の現代文の教科書に掲載されており、一部を読んだ。ただし、それは受験の必須科目として、高度に技術化された読み方をしただけのことである。記憶に残っていても、感動の記憶はない。
恥ずかしながらこの年にして、文学始めである。
雪が止むことはない。融雪のない細い道路にはそこそこの積雪がある。
タイヤ交換をせねばならない。
ゆっくり構えているうちに積雪を見て、慌てて交換するのが、俺の例年である。今年も同じく。
時折強くなる雪と、叩きつけるあられに手を止まらされながら、二台のタイヤ交換を終えた。寒かった。
毒づきながら作業する俺を横目に、娘は芝庭を転げまわって、小さな雪玉を作って遊んでいた。子供は寒くないようであるな・・・。
今晩はおでん。
練りもの、揚げ、大根、こんにゃく、子供の好きなソーセージやロールキャベツも。色とりどりに湯気を上げる種が嬉しい。
熱燗をひとつ。上機嫌である。
今夜は、香気高い中島敦の作を読もうと思う。
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