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暖かい一日。
日陰にわずかに残っていた雪もすっかり無くなった。

立ち仕事の後に急な仕事が入り、体力も気力も使い果たした。
後仕事をする気にもなれず。ソファに横になりたかったが、人の出入りが激しくならず。ぼんやりネットサーフィンなどしつつ、休むでもなく休む。
テレビを眺めながら、ようやく書類仕事を始める。不真面目だ。

寝静まった家に帰宅。
食パンにマーガリンを塗りつけ、小腹を埋める。台所の鍋に大根の煮たのが残っていたので、それも始末。俺の胃袋がおいしく頂いておいた。
食ってから、これは翌日の朝食のおかずにまわすつもりだったのだろうか、と思い至る。言い訳を考え始めたのに、苦笑。

眠る気にならず、自室で読書。
「山月記」読了。
硬質な格調高い文章が心地よかった。注釈と行ったり来たりの読書は遅々としていたが、先を読み急がせる魅力がある。
漢文の苦手だった俺にとって、孔子もその弟子たちも遠く興味をひかれる対象ではなかった。しかし、彼らそれぞれの個性を初めて感じた。描き切る作家の、漢文の素養の高さと筆力に感心した。
中島敦は漢文学者の家系に生まれたそうだ。家の空気を踏襲することが当然であった時代に、ある種のあこがれを抱く。
やはり表題の「山月記」が一番、心惹かれた。俺の心の中にも虎が住んでいるからだ。


眠る妻の、軽くあいた唇に口づけのしたい思い。
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昨日に引き続き寒い。だが、雪の降ることはなかった。


朝方、職場で仕事。
昼前に帰宅。


妻と相談して、漬物を漬けてみることにした。
俺の生まれた家では、冬めいてくると漬物を始めた。白菜や大根を用いて、それらは家でとれたもので潤沢にあった、樽にいくつも漬物を漬けた。板の間で白い息を吐きながら、母や叔母が野菜を割ったり、ぬかを振ったり、塩を振ったり、賑やかに作業していた。
小さい俺は、大きな菜切り包丁を恐る恐る使い、手伝いともいえぬ手伝いをした。それを思い出す。
季節ごとの仕事、季節感の無くなった今でこそ、大切にしたいと思う。また小さな娘にも、小さな俺と同じような、初冬の思い出を与えたいと思った。

ホームセンターにて、漬物樽と重石を購入。3人の家族でどれくらい食べられるのか、はたして。見当がつかなかった。よって、中庸を旨とする。
売っていた中の中ぐらいの桶と中蓋をひとつ。
重石は悩んだが、3.5キロと5キロを一つずつ買った。重石は重いほどいい、と母が言っていたように思うが、菜がぺっちゃんこになるのもどうかと思うので。
それから、スーパーで野菜を調達。
大根5本、白菜3つ。きれいな売り物野菜を漬けものにすることに、俺は何となく罪悪感を感じる。

実家のような土間とはいかぬゆえ、ダイニングテーブルの上にて漬物作業開始。
太くて白いきれいな大根は4つに割っても、まだ太い。妻の言に従って6つに縦割りすることにした。大根は新鮮だったと見えて、シャクリと爽やかな水気の多い音をたてて切れる。
「あー食べたいー」と娘が言う。あまりうるさく言うから、親指ほど切って食べさせてやった。
白菜も6つに縦割りにした。
大根から樽に敷き、一段ごとにぬかと塩を振る。塩加減がわからないので、薄めにしておいた。
重石をかけて終了。食品庫に運び込んでおいた。
「どれくらいで食べられるんかなー?」と妻が言う。
俺も詳しくはわからんが、状態を見て試し食いしてみるか、と思う。

毎冬、何度も母親のするのを見てきたから、簡単にできると思っていたが、いざやってみるとなると難しい。
それとも、眺めていただけなのに、よくできたと言おうか。

昨夜からの冷たい雨は夜更け、明け方かもしれない、に雪に変わった。
うっすらと雪化粧した朝である。


早朝に通院。
このところ安定している。よって減薬される。そこはかとなく嬉しい。

病院の帰りに書店に寄る。先日より憧れていた新しくできた書店である。二階建ての真新しい大きな店だ。
二階はコミックやゲーム関係であるらしい。俺には関連の薄い分野である。階段を登らなくて済む。
一階は低めの書架が並べられていて、見通しがよく、心地よい。ところどころにベンチがあり、書物の内容をゆっくり確認できるようになっている。昔は立ち読みにしろ座り読みにしろ嫌われたものだが、本の売り上げが伸び悩んでいる今、中身を試し読みさせるのもサーヴィスの一環とされるのかもしれない。
また、新書ブームが続いていると聞くのもなるほど。新書のレーベルが増え、費やされる書架も驚くほど増えている。気を引く派手な書名の新書が並ぶ。一点開いてみると、活字が以前より大きく思えた。内容も易くなっているように思えた。
俺が学生のころの新書はとっつきにくい、学術書のような書名であった。中の文章も難解であったように思う。
高校に入ったころ、新書を初めて買った。背伸びしたような、大人ぶっているような気がして、恥ずかしかったという覚えがある。
古畑種基博士の「血液型の話」という名著である。もう古典の部類だろう。

そんなことを思い出しながら新書の書架を過ぎ、目的の書物を探す。
漱石の著作が目的である。
「猫」や「坊ちゃん」などの洒脱な作品は今日のところ遠慮したい。「明暗」にしようかとも思ったが、「こころ」にした。
漱石のコーナーに続いて並んでいた、中島敦にも心惹かれた。「山月記・李陵」を一冊取る。
ついでに太宰の「人間失格」も。これは平台に積まれていたから目にとまっただけであるが。
文学史の教科書のようである。実のところ俺は、著名な往時の作家の作品を読み果たしたことがなかったのだ。唯一読んだのが、読まされたのが正解だが、「高瀬舟」だけである。
「こころ」も「舞姫」も「山月記」も高校の現代文の教科書に掲載されており、一部を読んだ。ただし、それは受験の必須科目として、高度に技術化された読み方をしただけのことである。記憶に残っていても、感動の記憶はない。
恥ずかしながらこの年にして、文学始めである。


雪が止むことはない。融雪のない細い道路にはそこそこの積雪がある。
タイヤ交換をせねばならない。
ゆっくり構えているうちに積雪を見て、慌てて交換するのが、俺の例年である。今年も同じく。
時折強くなる雪と、叩きつけるあられに手を止まらされながら、二台のタイヤ交換を終えた。寒かった。
毒づきながら作業する俺を横目に、娘は芝庭を転げまわって、小さな雪玉を作って遊んでいた。子供は寒くないようであるな・・・。

今晩はおでん。
練りもの、揚げ、大根、こんにゃく、子供の好きなソーセージやロールキャベツも。色とりどりに湯気を上げる種が嬉しい。
熱燗をひとつ。上機嫌である。
今夜は、香気高い中島敦の作を読もうと思う。

暦とは裏腹に暖かい日々の続くこと。


今日は珍しく早めに帰宅できることになった。
いささかわくわくしながら、できる時間にしたいことをつらつらと思い浮かべてみる。
新しくできた書店を覗いてみようか。
ドーナツでも買って帰ってみようか。
家でゆっくりと食事をし、のんびりしてみようか。
そのようなことが思いついた。
一番魅力を感じたのが、本屋を覗くこと。ぴかぴかの広い店舗のなか、本の森を彷徨ってみる・・・。しばらく自分の読書・・・仕事に無関係な自分のための読書だ、をしていないことが、俺の不満であったのだ。
退勤後の楽しみができた、と思った。

しかし、ちょっと気が変わる。こういうときこそ、妻や娘と親しむいい機会ではないだろうか、と思ったのだ。
友達に軽く相談してみたら、絶対家族と過ごすべきだ、と強く勧められた。
友達の言うとおり、早く帰って娘と風呂に入る、と妻に電話をする。
「やがて帰ります」と妻に伝えると嬉しそうにしていた。残念ながら、風呂の件は俺が言いだす前に妻に取られてしまった。「なら、○○ちゃんをお風呂に入れてね」と。
妻の意図するところは生理的な問題を多分に含んでのことだったが、友達の言うとおり風呂の世話は最重要項目であることは、間違いなさそうである。

平日の7時過ぎに帰れるのは貴重である。俺の精神状態も上々であるし。
娘と風呂で遊んで、ゆっくり飯を食い、くつろぐ。何と、豊かな、人間らしい夕べだろう!
また、このところ下落傾向であった俺の株も持ち直すことであろう。
本音を言えば、妻ともっと親しくしたいところであるが、それは叶わないのが残念なところである。


そのようなことを帰途考えていたら、気づいた。切腹して以来、妻と親しくしておらんことに。
精神状態が乱高下していたのを差し引いても、それはいかんだろうと思う。38歳の男として、絶対にいかん。
日にちを勘定しだしたら、もういけない。
今さらに長い禁欲期間を思い、修道僧のようであった、と我が身を悔やむことである。
俄然やる気になって帰宅。今晩やる気になってもしょうがないのだが。

玄関に迎えてくれた穏やかな妻の表情と、その後に走り出てきた娘の無邪気な笑顔を見て、情欲に流れた自らを恥じると共に、安堵したことである。


身体に鞭をくれる荒行をする修道僧の気持ちが、解るような気がする。
月に吼えたい気持ちのする。
月はどっちだ?

12月だ。早い。
師も走るというから、俺も走らねばならんか。いつも走っておるが・・・。

やさしい彩の青空。初冬の青空はなぜ、胸締め付けられるような切ない色にみえるのだろう?
鈍い色彩の、ひと色の季節が訪れる前の感傷か。


帰り道。何故かの、雪前の夜間道路工事に行き当たる。
気の短い俺は車に乗れば、ますます気が短くなる。待っているのは嫌いだ。
夜更けにもかかわらず長い車列の続くのに、俺は辟易した。
中途の道に入り、ひとつ筋を遠回りして帰ることにした。

いつも通る道よりも少し静かな界隈を抜ける道。幹線道路には違いなく、交通もほどほどにある。
信号待ちをした向かい側、ハザードをつけて止まる車群に気がついた。
学習塾に子弟を迎えにきた保護者の車らしい。いかにも車社会の田舎ならでは。
それにしても、この時間まで勉強とは!
また、この多さの学生が塾通いしているとは!

行き過ぎる間、車内のひとを見遣る。
ぼんやりと前を眺めながら、子の出を待っている母親がいた。


君もあのように一途に待っているのですか?
雷と冷たい雨の一日。強い風が吹きすさぶ。


その後、妻とは齟齬を残したまま、何となく・・・どこの家族でもあるようななし崩し的和解にもつれ込みそうであった。平日のそれほど時間のない暮らしの中で、よく話し合うことができなかったこともある。
でも、俺はそれではいやなのだ。
みっちり妻の話を聞く時間がほしいのだ。
俺をかわいそうな人が好きと評した妻の、その理由が知りたい。この言葉だけが何故か、俺の神経に触ってしかたがない。

先日の買い物の件を忘れて職場に行ったこと、これについては俺に言うべきことはない。素直に謝らねばならん。
忘れていたことも述べて、それでも妻との約束を積極的に後回しにしたわけではない、と伝える。よく考えるとどちらもどちらで、ものすごく非礼なことをしているわけだが。
妻は、俺の脳髄の中では自分たちの扱いが後回しである、と思っているようだが、そうではないのだ。

考えあぐねて結局、そういうつもりではありませんでした、と謝ったわけである。
妻は「もう済んだことでしょ」と答えた。

済んだこととは・・・①済んだことだから、もう許すということ。
            ②字面通り、もう済んだ過去の話ということ。
・・・これのどちらの意味で言っているのだろう?

頭が悪いので、そんなことがわからん俺である。
これは質問しては藪蛇ではないかと思ったが、あえて質問してみた。
「もう済んだこと、いままでだってたくさんあったことやし、もういいってー」と妻は答えた。
面倒くさそうであった。または、蒸し返されたことに腹を立てているようであった。

正答は、③のもう諦めておるということ、だったのか。俺の単純な脳髄がすぐさまはじき出した答えにため息のでること。
そうではないのかもしれない。そうなのかもしれない。
此処彼の間をしばらく思考が行き来する。
俺の中をいう閉じた中で考えても、答えのないこと。空間を広げてみようと思うのも、俺のエゴイズムか。
口を閉ざして、それ以上することはなし。
小雨模様。
昨日は妻と別床に寝た。
朝食はいつもどおり、用意されておった。ただし無言。
娘とは、もちろん子どもゆえ、会話はある。妻とはない。

「それは違うかなー?」と思いながらも、昨日行けなかった買い物へ出かけようと提案してみた。
「いいわ」と短く拒否された。
そりゃそうだろうと納得しながらも、とっかかりもつかめなかったかと残念に思う。
庭の小さな南天に赤い実のなったのを見つけ、誰ともなしに「南天に実がついたねー」と呟いてみる。答えはなかった。

ぴりぴりした空気に負け、自室で調べ物などして過ごす。
知らぬ間に妻は食品の買い物に出かけたようであった。

夕食は、俺のあまり好きではないとんかつ。妻の小さな仕返しか。
黙って食う。
針のムシロである。いや、自分で針のムシロをひいて座っているようなものか。

初冬の切ないような青空。銀杏並木の黄色いもみじが青空に映えて美しい。

昨日の帰宅後、妻が退職してきた旨を知る。
部長なり課長(詳しい役職不明)なりから、何か嫌なことを言われたようであった。
曰く「事務員の出勤を待って挨拶して帰るような、常識的な対応はできないのか?」とのこと。
その事務員が人事を統括しているのかと思ったら、そうではないらしい。世話になったのかというと、そうでもないらしい。???である。
パートの仲間にはちゃんと挨拶してきたというから、それでいいのではないかと俺は思う。

大体、常識的って・・・お前が言うな、お前が(笑)。
詐欺師集団のくせによー。

まったく、常識と口にする奴の常識こそ疑わしいものだ。


今朝は精神科に通院。
最近は仕事に重点を置いた生活をしてることを話す。それにやりがいを感じていることも。
精神的には落ち着いていると思われる。
経過観察ということで。

その後職場によって、午後3時ごろ帰宅。
すると妻の機嫌が悪い。
今日妻は自分と娘の洋服を買いに行くつもりでいたのだった。昨日その予定を告げられていたのを、俺はすっかり忘れていたのだった。
ぷりぷり怒っている妻に「すまんかったね」と謝罪。
しかし、妻の不満は爆発した。
俺の「すまんかったね」は感情がこもっていないとか言う。妻の予定など俺は気にしていないのだろう、と責める。
忘れてしまったのは悪いけれど、二人で買い物に出かけたらよかったのではないかと俺は思った。
妻は家族で買い物を楽しみたかったのだとなじる。
それから、俺が肝心な時にはいつも不在であることを言い連ね、俺が仕事人間で家庭を顧みないと結論付けた。
そんなことはないと思うのだが・・・。
「先生は病気や辛い思いをしている、かわいそうな人が好きなんだね」と妻が言う。絶句した。
「先生の身近で普通にしている私たちのことは、満足しているのだろうと思っているでしょ?」と言い、妻は涙を流した。
言葉がない。
確かに、妻や娘がそうまで不満に思っているとは知らなかった。
そして、俺が娘が幼稚園でどうしているか克明に答えられないことを、責められた。俺は子供にも関心がない、と妻は言う。
妻は自分一人で子育てをしているようだ、と言い、すすり泣いた。
興奮している。俺が何か言うと更に妻は激昂するように思えた。
「ねぇ、私たちもかわいそうだよ?先生は疲れていて、私たちは気ばかり使っている。もっと私たちのことも気にしてよ」と妻に言われた。

結構効いた。
妻の話をもっと聞かねばと思ったが、もう話すことはないとばかりに妻は黙った。
食い下がるべきだったろうか?
寝室に消えた妻子の後を追った方がよかったのか?
ぴしゃりと閉ざされた扉を開けて、入室する勇気が湧かなかった。


俺はかわいそうな人が好きなのか・・・。
誰がかわいそうで、誰がそうではないか、俺はわかっていなかったか。
沈黙のほほえみに甘えていたのであったか。
大切なものはなんだ? 家族ではなかったか?
家庭での俺の存在意味について思索し、反省する夜である。

昨夜からのあられは雪に変わった。雪の朝。
うっすらと芝庭に積雪。鈍色の空からは時折、大粒のあられが落ちてくる。
一日みぞれもようであった。
寒い。一月なみの冷え込みになったそうだ。
今年は冬の訪れが唐突で、積雪も早い。大雪の年なのだろうか。
俺の季節がやってきた。腰痛もちに寒さはこたえるし、大病の後ゆえ何かと不快な症状もあるのだが、冬のきたのは嬉しい。俺は冬が好きなのだ。


早めの帰宅。ビーフシチュー(ハヤシ?)の夕食。バケットが主食であった。
何をおいても米食の俺であり、ご飯は欠かさない妻にしては、珍しいことであった。たまにはいいものだと思う。ブラウンソースに、硬くて塩気の利いたフランスパンがよく合う。
フランスパンがまだ食べにくい娘は、ご飯にシチューをかけて食べていた。
いささか食堂は寒かったが、ほかほかと湯気の上がる料理は見ているだに温かい。家族そろって食卓を囲める幸せを感じた。


書斎で調べ物をしているのを中断して、妻の相談相手をする。
職場の問題について、と今後のことについて、である。
妻の職場の事情を初めて知り、驚く。妻も最近知って衝撃を受けたそうであるが。

俺の可愛い女房がそんなところで働いていたとは!

早急に、明日にでも退職の旨を伝えるように、妻に強く助言した。助言というよりもっと強制的な、命令に近い言い方になった。
「明日にでも、辞めてきなさい」と。
妻も「わかった」と答えた。
次の職が見つかるだろうかと心配している妻には、いくらでもパート仕事は見つかるだろうと慰める。経済的に困窮しているわけではないから、急いで求職しなくてもよいことも話す。

世間の狭い俺であるし、世の中にも疎い部類の俺ではあるが、妻に話した内容に間違ったところはないと思う。
いきなりの退職は非常識とみなされるものかもしれない。が、最低の常識=法律に抵触する行いをする相手には、一般的な常識や礼儀を尽くす必要はないだろう。

何より・・・。
職場のやり方に矛盾を感じ、そのような会社で働いていることを疑問に感じ、心を痛めた妻の、正常な感覚。それが俺には嬉しかった。
他に相談相手がいなかったのかもしれないが、早々に一番に俺に話してくれたことにも満足であった。

氷雨の降る一日。とても寒かった。
夕方にはあられ。強風である。


朝方、事件あり。おかげで一日中つまらん気分であった。
つまらん・・・理不尽な・・・というか、頭にきて・・・、きすぎた。
自分をだましだまししてきたのが、だましきれなくなった、という感じがする。


「お前ならできたか?できなかっただろう?」と言われ、答えもせず黙り込んだ理由は、お前にはわからんだろう。
俺はさせられたし、やってきた、できた。
その事実を反論することすら、無意味だと思えた悔しさ!

無責任者のケツを舐めさせられたことも、その味も、俺は決して、二度と、絶対に忘れん。



禁句だが、言う。
死ねばいいのに。

昨日に引き続き晴天。


いつもの金曜日。俺は予約客と相談をする日である。
これまたいつものごとく、すべての商談が終わり、立ち上がろうとした時のことだ。一瞬の視界の途切れの後、商談室の床に俺の肉体は横たわっていた。
俺は失神したのだった。

そこに寝転んでいるわけが、瞬間解らなかった。
「なぜこんなところに寝そべっているんだ、俺は?」と思っていると、女子職員が慌てて駆け寄ってきた。
「ここ、どこかわかりますか?!」と、真剣な顔をして怒鳴っている。
職場であると俺が答えると、職場の名前を答えるようにまた、怒鳴る。
とても怖い顔であった。ケツに火のついた様子が俺には可笑しかった。
照れくさい気持も湧いて出た。
とんでもない名称を答えて、驚愕させてみたいような、その様子をしらけて眺めてみたいような、どうにも困ったこころが現れてきた。
別な女子職員が車いすを押し、走ってくるのを見て、俺は完全に公式の顔を取り戻した。
職場の名前を吐き捨てるように言い、何を慌てているのだというような顔をしてみせた。
女子職員に助け起こされ、車いすを断って、適当な台(笑)に横たわる。

特に緘口令を敷いたわけでもないのに、俺の倒れた件は広まらず。しばらく商談室で休んだ後、軽く昼食をとり、仕事に戻れた。
人使いの荒い会社である。


生きている間は風の止まることはない。
我々は風を、逆風であるとか、順風であるとか、勝手に名前をつける。
俺は明日は逆風が吹くのではないか、いやきっとそうに違いない、と考えることが多い。
だが、逆風のときは後ろを向いて進んだら、順風になるのではないか? 言葉遊びをしているだけのようだが、そんな風に思ってにやりとできることが、案外大事なのかなと思っている。

そよ風、つむじ風、台風。風にもいろいろある。
折々の風に吹かれ、舞い踊る木の葉のごとく。
されど、人は木の葉にあらず。
時に風に乗り、時に耐え。
やがて、望む終の棲家に至る。

晴れ。風もぬるく、過ごしやすかった。


俺は妻のことを「お前」と呼ぶ。
思い出すときはかなりぞんざいな代名詞で思い浮かべる。曰く、「あいつ」であるとか「あれ」であるとか。
妻と俺という濃密な関係の間では、他者の入り込む余裕はさほどない。だから、多くの場合それは二人称で語られるわけだ。

Kのことなども、二人称で思い出すことがしばしばである。
「お前、どうしているのかねぇ?」
或いは、「あいつは今幸せでいるのだろうか?」
そんな風に考えることがある。
Kと俺の関係は、記憶の中の若い二人のままである。あのときの濃密な関係のまま、思いだす。

君のことは、やはり二人称で思い起こす。
君は元気なのか? どうしているのだろうか? 何を感じている? 飯は食いましたか?
Kとの違いは、現在進行形で思い出すことだ。
Kとの関係が死んでしまった関係とするならば、生きている関係、という言葉こそがふさわしい。疑問文の先には必ず「今」という言葉が隠されている。

名前をまったく重要視しないわけではない。濃密な関係にある二人の間にはただ相手のあるのみ、という気がするのだ。

そして、家族かそれに準ずる者にしか許されないであろう呼称を使うとき、俺は初めには畏れを感じた。許された今では、そう呼ぶとき何かしらの誇らしさを感じるのである。
俺がそうされるときも同じだ。
秘かな喜びですらある。

雲ひとつない晴天。過ごしやすい、美しい一日であった。


通勤のついでに煙草を買った。いつも寄る自動販売機でもなく、行きつけのコンビニでもないところにある自動販売機であった。
それは新しい機械で、顔による年齢認証のカメラの付いているものであった。よってタスポは必要とされない。これはいいものだと俺は思った。
しかし機械は俺を成人と認証してくれない。いや、それは正しい表現ではないのかもしれん。が、とにかく煙草を売ってくれないのである。
二回も機械に拒否された。
俺の顔は成人の範囲に満たない幼さなのであろうか?
機械の認識データが拙いのであろうか?
或いは、俺のツラは人間離れしているとでも言うのだろうか?
とにもかくにも、データの更新を強く希望したいものだ。

矢島美容室について、友達に教えを請い、初めて知った。
テレビ番組の企画ものらしいが、流行っているのか? 俺はちっとも知らなかった。
♪ネバダから 来ています♪ 
何と感想を述べていいのかわからない歌詞が、頭の中をぐるぐる廻っている。そのうち鼻歌に歌ってしまいそうで、怖い。気を抜いた瞬間など危ないから、注意しようと思う。

俺たちは子供だった。小学校低学年くらいだった。
そこは小さな神社だった。どこの村にもあるような、小さな目立たない神社。広くない境内の一角に、滑り台やらジャングルジムなど子供の遊具が置かれているような。
季節はわからない。だが、寒くはなく緑のある季節だ。たぶん、俺たちの時代の、学校週休二日制ではない頃の、土曜日の昼下がりのような気がする。
ブーンと低く小さな音が聞こえていた。ヘリコプターの遠くに飛ぶ音だったかもしれない。
俺は君といた。
忘れ去られたように誰もいなかった。

拝殿の登り口の階段に二人で座っていた。
二人とも腹を減らしていた。
俺たちは、賽銭箱を探った。小さな社に似つかわしい小さな賽銭箱には、五円玉や十円玉がわずかに入っているだけだった。
かき集めた賽銭は百円にも満たなかった。
俺たちは失望した。

俺たちは盗んだ金を握りしめ、神社の近くにあった駄菓子屋で、氷菓子を買った。50円の、練乳味のする長細いアイスキャンディーを一本買った。
俺たちは賽銭泥棒だった。
駄菓子屋は俺が子供のころによく行った「ヒラノ」という駄菓子屋だった。痩せた愛想のないおばさんが店番しているところだった。
おばさんはやはり無愛想に俺たちをねめつけ、「ありがと」と無表情に言った。
俺はおばさんに盗みを働いたことがばれたのではないかと思い、どぎまぎした。その反面問いただされなかったことに、ばれなかったのだなとほっとした。

俺たちはまた神社に戻った。
誰もいなかったが、俺たちは境内の蔭に隠れて、アイスキャンディーを食べ始めた。
一口ずつ、かわりばんこに食べた。
君は何も言わなかったが、アイスキャンディーを渡すたびに俺にほほ笑んだ。
境内のさらさらした土を掘って、俺は食べ終わったアイスキャンディーのバーを埋めた。
君と俺は共犯者だった。


薬のくれる不自然な眠りのはざまに。
真っ暗な虚無の中に。
フラッシュがたかれたように浮かび上がるものがある。
寝ぼけた脳の不思議なつぶやきか。忘れたと思っていた記憶の断片と、現在の記憶が交差する。
そんな夢を見た。
それを思い出した。


王朝貴族の思ったように、ひとが自分を想ってくれるから夢に姿を現すのか。
それとも、自らの想いがひとを夢に呼び寄せるのか。
冷たい雨で明けた日曜日。
蒲団から出るのが苦痛であった。妻も同じ気持ちであったらしい。
しかし、子どものいること。時間になれば、元気に起きだす子どもに、親たちも寝床から追いやられる。

妻の会社は最近とても忙しいらしい。毎日一時間も残業をさせられている。
歩き通しの一日の仕事に妻もさすがに疲れている。家事が滞り始めたことを苦に思っている。
俺にすれば、家内が乱れ切っていると思わない。忙しいなりに妻がやりがいを感じているのならば、それはそれで結構だと思う。
妻の話では、上司に仕事ぶりを認められたことと、時給が多忙につき900円になったことが、やりがいにつながっているようだ。
時給が破格なのか、俺には分からないが。上司に認められることは時として、予想以上に勤労意欲を刺激するものである、と知っている。
真面目な妻はおそらく、一生懸命に仕事に取り組んでいるのだろう。人に比することを思いつく女ではないが、結果として真面目さが仕事の成績に反映されてくる。望ましいことだと思う。
俺はすぐに人目を気にするから、そうはいかない。

「頑張っているようで、安心しました」と言ったら、妻は複雑な笑いを返した。
何かを訊くと、「いろいろあるんだよー」と答えて、多くを話そうとしなかった。
職場にはそれぞれ、言葉では言い尽くせぬことがある。良いことも、悪いことも。長く働いたことのない妻が、仕事をすることに付属したさまざまを知り始めたことに、俺も複雑な感を抱く。

要らぬ苦労を知らぬままでいてほしかった、と思いながら。
同じく仕事に就くことで、知ってくれることが、心強いと思う。


午後から読書。仕事関係の雑誌をいくつか。
秋の夜長は読書と思索、と思っていたのだが。この秋は忙しくそうもいかなかった。

夕食にすき焼き。
久しぶりの肉食。肉ばかりよって食い、叱られる。そう言う妻も肉ばかり食っていた。

夜になりまた雨。静かに細く降る。
アスファルトは黒く光っている。行き交う車のライトがやけに素早く流れていくように、見えた。
明日も仕事だ。お互いに♪

気を抜いていたら早、11月になってしまっていた。
しばらく日記をつけることから遠ざかっていたゆえ、PCに向かうと書くべき言葉がうまく思い浮かばない。

曇り空。時折冷たい雨が思い出したように降る。晩秋の北陸の天候である。
朝いちばんに通院。
最近の俺には、主治医に語るべき激しいエピソードがない。家庭と仕事の充実は、仕事が充実している分、家庭の生活は犠牲にしていると言えよう。誰しも家庭と仕事の両方に満足がいくように生活しているわけではない。そう思えば、俺の生活の充足度は、社会人として過ごす多くの男の中でも、平均的であると思う。
主治医も俺の様子の安定しているのを見て取ったのだろう。
処方に変化はなし。
その後、職場に顔を出し、しばらく仕事。
お客さんは一様に寒さを訴える。ちゃんと空調が整えられているはずなのにな、と思う。
窓の外は冷たい雨が細く降っていた。木々の葉は、半ば落ち果てたものもある。真っ赤に紅葉した葉が雨に濡れて鮮やかに際立つ。そして、それは寒さも際立たせる。
なるほど、窓の外を眺めれば、例え温かい部屋にいたとしても、寒さを感じるであろう。そんな光景が広がっている。

帰宅後。我が家もこたつを出すことに決めた。
行動は早い。普段使うことの少なかった和室に掃除機をかけ、やぐらを出す。
やぐらの継ぎ足がひとつどこかへ消えており戸惑ったが、片づけてあった引出しの奥から出てきた。妻が何度もそこは探ったのに、と言い、探し物をしているとよくこういう事態が起こる、と不思議がっていた。同感である。
こたつ布団にマット、毛布は滞りなく、収納したはずの場所から見つかった。当然と言えば当然。
こんなことを書くと、我が家の片付きようが極めて不良であるように聞こえるだろう。妻に知られたら叱られてしまう。
弁護するようだが、我が家はそれほど混沌状態ではない。

こたつを出すと、部屋がそれだけで温かくなる。
娘を胸に抱いて、寝ころんでいたら、うたたねをしてしまった。妻に揺すられて慌てて起き上った。
驚いたような顔をしていると、妻に笑われた。

曇り。ところどころ晴れ間が覗くも、天気が回復する気配は一向にない。寒い。
今年の秋はゆっくり訪れて、あっという間に去っていくようだ。

昨日に引き続き、多忙。
早飯をして、正午には現場。
いつもの火曜日である。

冷たい雨で始まった週。
時折、音を立てて大粒の雨の降る、冬の走りを思わせる一日であった。


仕事忙しく、息つく暇のないこと。煙草を吸いに行くいとまもなかった。

肉体は疲れた。
が、精神は上々である。一日をやり遂げた爽快な疲れであった。
忙しいのは、いろいろなことを考えないですむのが良い。考えてしまうときは忙しくても、考えてしまうのだが・・・。それだけ精神が上向きである、ということだろう。

妻は、俺のやったDVDに、今のところ夢中である。
一人遅れた夕食の常の話題は、そのドラマの話である。
十年ひと昔・・・とはよく言ったもの。現在よりも少しだけゆっくりしていた時代の、ドラマの設定に、己のその頃を重ねて、懐かしむ。それも歳を重ねつつあることの楽しみか。


濡れたアスファルトが黒く光っている。乾くこともなく。地面の冷たさを知らせている。
また雨が落ちてきた。
一人の書斎は冷え冷えとしている。丸いやわらかな体の横たわる、温かい寝床が恋しくなった。

朝方、黒い雲がみるみる一面に広がり、雨が通った。その後はうって変わって、美しい秋の青空が広がる。
爽やかな一日であった。


昨夜寝床に入ったときにちらりと起きた妻に、誕生日のプレゼントの話をした。妻は「ありがと」と言っておった。寝ぼけているとみたが、正しかった。
今朝の妻は覚えていないと言い、プレゼントを見て喜んだ。
一つのもので二度楽しめるお得な女である。いや、DVDであるから、鑑賞して、三度喜べるわけか。
娘が幼稚園に行っている間に、少しずつ見ると言っておった。


先週の後半から忙しい毎日を送っている。まだ週の半ばの水曜日であるというのに、肉体は疲れきっておった。
精神的にはさほど疲れてはいない。むしろ週末よりは上げ調子である。乱高下を繰り返しているのには違いないが、落ち幅は小さくなってきていると思われる。
と書くと、まるで株式市場の様子を描写しているようである。苦笑。

そういえば、ニューヨークの証券取引所の様子をテレビで見ると思うことがある。
日付の電光掲示板をつけた高台にある机、鐘などのあるマーケットを象徴的する場所なのだと思うが、名前は知らん。あそこに集っている老若男女、いつも顔ぶれが違っているが、どういった基準で選ばれ並んでおるのだろう?
ナイスバディな姐さんが並んでおって、目を惹かれる。
姐さんがたくさん並んで眼福のこともあれば、おっさんと姐さん一人の寂しいときもある。
くだらんことである。が、気になってしようがない。


風邪気味で咳の続いている娘にツロブテロールテープを貼ってみる。小さな背中の真ん中に。

それさえなければ、静かな、静かすぎる夜だ。
(後付)
今年の金木犀は早かった。10月の声を聞くとともに、芳しい香りで、その季節の訪れを知らせてくれた。

金木犀の香りがすると、俺は妻の誕生日の近いことを思い出す。
毎年、妻を喜ばせようと、驚かせようと・・・かも知れない、いろいろと策を練ってきたものである。
今年はそのような大騒ぎはもうしない。
滑稽だから、である。
もうお互い40が目前となった。親にもなった。結婚生活も15年になろうとしている。知り合ってからは20年近くになる。
いいころ加減、だと思う。
大人らしく(?)寿ぐことにしたのだ。

妻のほしがっていた、90年代ドラマのDVDを記念の贈り物に用意した。
娘の寝たあとに、二人で酒でも少々飲みながら。誕生日おめでとう、と声をかけて。プレゼントを渡して。
静かに妻の生まれた日の夜を過ごそう、と思っていた。


残念ながら企画倒れ。
貧乏商売なるがゆえ。
勤務が終わって帰り着くと、すでに妻は就寝した後。

いつものこと、とお前はため息をついただろうか?
娘を寝かせて、お前も疲れて眠ってしまったのだろう。

いつものことだな、と俺はため息をついた。
お前の寝息と温みを貰って、俺も眠ってしまったのだろう。

俺たちはたくさんの言葉を紡ぐけれど、
本当に伝えたいこと、
本当に伝えなくてはいけないことは、
そんなに多いのだろうか?

言葉を口にするたびに
言葉は伝えたい事から離れていく。
言葉は程遠いことを伝えようとしている。

言葉は感情を超えない。

今日から10月。秋らしい爽やかな青空の広がる、美しい一日であった。

しばらく日記をつけなかった。
特別忙しかったわけでもない。精神的に落ち込んでいたわけでもない。気分次第でつけている日記であるからして・・・。
このままでは、日記というよりは週記だな。


事件がなかったわけではない。
土曜日は娘の幼稚園の運動会であった。親子競技に出てみたり、娘のワンテンポ遅れる踊りを眺めて笑ったり。楽しい一日を過ごした。
妻の母親も見に来てくれた。
ま、それが問題を起こしたのであるが・・・。

義母はかなり頑固でプライドの高い人である。また、自分の思ったとおりにことを運ぶ人である。妻はいまだに義母に逆らえないでいる。
妻の立場、義母の立場で、思うことはそれぞれある。年寄りの言い分も理解できるが、俺としてはやはり妻と同じ思いが強い。
俺は、妻と義母の間に割って入り、意見を述べることを積極的にしたくない。できないと言ったほうがいいかもしれん。
濃密な母子関係であった彼女らの長い期間を思うと、俺が間に入ったり、高じてはその関係を論じるのはいけない気がするのだ。
そのうち、俺が妻の味方をして義母にものを言うときが来るのだろうが、今はまだ・・・といったところだ。

妻は義母が帰った後に、不満を述べる。今までなかったことだ。そう思えば、愛しい気もする。
しかし、当日はそう思う余裕がなかった。
何だか、中途半端な話し合いをして、気まずくなった。


日曜日は疲れてしまい、一日寝てばかりいた。目が覚めていても、ぼんやりとして、眠気ばかり感じる一日であった。
妻ともあまり話もせず。寝室にこもりきりであった。


月曜日。寒い日であった。11月並みだったらしい。
仕事場は週明けのことで忙しかった。
夕方の会議後、今後のことを個人的に上司と相談した。早く通常の勤務状態に戻してほしいのは、痛いほどわかっている。肉体はとうに回復しているゆえ、上司の言い分をのまぬわけにはいくまい。精神状態もまずまず、低め安定を保っていると思われるし。
妻と何となく仲直りした。どちらかが謝ったわけではない。生活をしている中では、会話しないわけにはいかない。また、娘の存在もある。それが、夫婦の間を取り持った。
曖昧な部分を残して。
家族とはそのようなものかもしれない。


火曜日、長い立ち仕事。疲れ果てた。
気が勝ちすぎて眠れず。遅い就寝ゆえ、久しぶりにマイスリーを飲んだ。飲んだ後の記憶がないが、おかしな行動をしていた気配はない。気がついたら明け方であった。効いた模様。


水曜日。
本日の午前中は、いつになく忙しかった。職場内をかなり歩き回った。相当な歩数を稼いだだろう。
夕方に勉強会。内容が興味深く、ためになったと思う。勉強会はいつもかったるくて変わり映えしなくて嫌いだったが、今日のは集中して聴けた。居眠りもしておらん。
ワーグナーを大音響で聴きながら帰宅。マイスタージンガー。ちょっぴり苦くて、大いに楽しい。
大切な人に自分の気持ちを伝えたい、と思ったとき。
それだけのことが何故、とても難しいのだろう?
秋虫の声の聞こえる季節になった。
朝方、曇り空。ぱらりと雨の降った地域もあったそうな。
昼からは美しい青空が広がった。


どうも、週末になると気分が落ちてくる気配がある。
休日の時間がいけない。暇にまかせて、いろいろと考えてしまう。考えることが有意義なことならばいいのだが、思考形態が後ろ向きに傾いているので、ロクなことを考えない。
この前、自殺週間に因んで、死について考えてしまったから、もういけない。死にまつわる事象が自分に向ってきてしまった。
よって、小さい死を繰り返していた。つまり週末には寝てばかりいた、ということである。
まったく、俺の愛人はしつこい。また心中を囁かれた。

♪ だけど、心なんて
 お天気で変わるのさ ♪

巻き舌気味のアン・ルイスの歌声が蘇る。
よう言ったものだ。


このところ、幼い子供が被害にあう事件が続いている。
確か、奈良の事件も秋であった。秋になると、ある人々の心には残虐なものが沸き起こり留められない、とでもいうように。
縊れた少年の遺体は、どんなに切ないことだろう。
雨に打たれる裸の幼女の遺体は、どんなに惨いことだろう。
子供を持って、その種の犯罪のおぞましさを初めて知ることよ。

子供・・・。
そうだな。
子供がいなければと思ったり、子供がいないときはと懐かしんだりすることは、ある。
子供は俺にとって、得意な存在ではなかったし、今でもそうだ。
子供は天使のときもあるが、小悪魔であることの方が多い。
娘の笑っている顔はもちろん好きだが、寝顔の方が好きだ。
早くいろいろな話のできるような歳になってほしいと思うが、そのころには父親とは遊んでくれそうにない予感がする。
娘の胸には俺と同じところにほくろがある。それを見るたびに可笑しい。


本日の体重70kg。信じられん。

蒸し暑い。台風の影響か。

午前中、職場に出かけた。客たちの間をめぐり、書類仕事を済ませた。
帰宅途中に事故に遭遇。
反対車線で、単車と2トントラックの接触事故であった。
俺の側の車線に転がった単車の青年はしばらく起き上がれなかった。俺の車の速度がもう少し速かったら、青年を轢いていたことだろう。たらたら走っておって良かった。
ハザードを点滅させて車から降り、青年の様子をみる。
「大丈夫ですか?」と声をかけると、「大丈夫」と以外にもはっきり返事をした。しきりと単車のことを心配している。
青年を歩道に導き寝かせて、トラックの運転手に救急車を呼ぶように指示。道路に転がった単車を起こして、路肩に移動させる。オイルが漏れているようだった。また、ギアが入ったままで移動させにくかったが、なんとかなった。
青年は救急車に乗るのを嫌がって、自分で病院に行くと主張した。しかし、頭を打っていることもあり、無理をするなと、救急車を待つことを命じた。
ほどなく、救急車到着。救急隊に青年の様子を手短に伝えた。
あとは警察の管轄だろう。
実のところ、俺は接触の瞬間を見ていなかったので、役に立てそうもない。その旨、トラックの運転手に伝えて、その場を辞した。

帰宅後、妻に事故に遭遇したことを話し、車の運転にはよくよく注意をするように話す。妻は車に乗ると人が変わり、かなり・・・ありていに言えばスピード狂めいているのだ。
妻は届いたばかりの新しい車にまだ慣れていないゆえ、そんなに速くは走らないよ、と言う。怪しいものだ。
ま・・・、今まで無事故であるからして、妻なりに注意しているのだろうとは思う。しつこく言い立てて、雰囲気を悪くする問題でもなし。そこまででやめておいた。


職場での就寝中、つま先を誰ががすっと触っていったような感覚に襲われて、目が覚めることがよくある。俺はそれを指して、幽霊に起こされた、と表現する。
或いは、リーチ部屋の扉の下にわだわだと白いもやのようなものが集まって見えることも、たまにある。あれはなんなのだろう?
未だ納得のいく説明ができないが、そのような現象がときどきある。
俺は同業者に冗談めかして語るが、女子職員の中には霊体の存在を信じている者もいる。
君を怖がらせたかな?

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