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梅雨明け宣言が出た。
太陽はますます元気である。早朝より30度越えの気温。暑さは梅雨時とは種類が変わった。カッと焼け付けるようだ。

朝一番で、精神科に通院。
腎臓に癌を持ったことを告げた。主治医は「それは・・・重いですねー」と絶句した。
求められるままに、簡単に病状について説明した。
精神科医の常で、共感的、同情的に話をきいてくれ、穏やかな励まし(?)を貰った。語り口に安堵させられた。

君が悔やんだように「なんではるだけが、と思うよ」という言葉を思い出す。
俺の、そう多くはない知人がみなそう言って、俺を惜しんでくれる。今日は精神科の主治医にまで。
ありがたいと思う。
つまらない俺と、今でも思わないではない毎日を過ごしているが、その俺にさえ価値を認めてくれる人がいくらかいる、と改めて思い知る。彼らの想いに報いるためにも、癌を克服し、再び俺として彼らに働きかけることができるようにしたいと思った。


今夜は望月が、いつにも増して美しく輝く。
夜の底はまだ、熱気を孕んで冷めることを知らない。
花火に興じる若者の楽しげな声が、熱い夜風に乗ってここまで聞こえてくる。
優しい金色の円盤のもと、それぞれの喜び、それぞれの哀しみ・・・始まったばかりの夏の夜の猥雑な熱気に取り込まれて、ざわざわと蠢いている。
巡る感情はどこから来るのか。脳の描き出す鮮やかな幻影。
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雨にての一日が始まった。
猛暑日であった昨日と比べると、気温も低めであった。しかし、湿度の高いのが体力を奪う。

午前中、予約客との商談。午後のCT検査のためにさくさくと済ませたかったが、相手のあることとて、そうも行かない。正午を割って、いつものことだが、終了した。

CTを済ませて、泌尿器科医と話す。
予想通りの言い様であった。放射線科の医師の見立てによっても、おそらく悪いものであろうとのことで、見解が一致。要するに癌ということである。
症例数の多い、実績の確かな病院の泌尿器科への紹介状を書いてもらった。来週中には行くように、予定を調節せねばならなくなった。さすがに面倒だとは言えない。



俺の得た病は、RCC(Renal Cell Carcinoma)---腎細胞癌である。
右の腎臓に3センチほどの腫瘍がある。
大きいか、小さいかといえば、小さい部類だろう。早期に発見できたことは不幸中の幸いであった。
ただ、場所が悪い。腎臓の内側に腫瘍がある。よって、部分切除は大変難しく、右の腎臓を丸ごと取ってしまわねばならない。

腎臓のできものは9割方、悪性であるという。また専門医による診断も受けた。
それなのに、万が一にでも良性の腫瘍ではあるまいか、と思いたい気持ちが半分くらいあった。

良性か悪性かを確実にするには普通、その部分の細胞を取るという作業がなされるのであるが、腎臓は血液の豊富な臓器であり、癌が散らばる恐れがあるゆえ、そういうわけにはいかない。

①腎臓に腫瘍がある。
②専門医の見立てでは癌であろうとのことである。。
③唯一確実な治療は手術療法である。
④十に一、良性の腫瘍であったなら、腎臓は取られたけれど癌ではなくて良かった、と思えばよい。
④’十に九、悪性の腫瘍であったなら、早期に発見され、癌が切除されて良かった、と思える。
・・・そう思うしか、混乱する気持ちのやり場がなかった。

それにしても、癌持ちになっていたとはねぇ・・・。
圧痛があるとか、血尿があったとか、身体の症状があれば違うのだろうが、未だ実感がわかない。


帰宅後、妻に言葉少なめに事実のみ説明した。十中八九癌であること、紹介された病院で手術すること、などなど。
「治るの?治るんでしょ?」と信じがたい事実に驚愕と不安感を持って、妻は尋ねた。
当然の反応であろう。
「治るよ」と、俺は自分にも言い聞かせたくて、答えた。
「ほんとやよね?」と妻は念を押す。妻も自分に言い聞かせたいのだろう。
俺も「ほんとに治るよ」と、お互いに言い聞かせる。
いつもは五月蝿いくらいにおしゃべりな娘も、親たちの雰囲気を察して、神妙な顔をして黙って様子をうかがっていた。
食卓に笑いはなかった。

明日から夏休みだという娘に夜更かしを許して。となりのトトロを眺める。
すばらしい晴天。早朝よりぐんぐん気温が上がった。
上がりに上がったり、35.8度だったそうだ。どうりで、空調の効いた職場内にいても何となく冷えが悪く、モヤっとしていたはずだ。
肉体的に辛い一日であった。そして・・・。


五月から六月にかけて、職場の定期健診があった。
俺の職場では、出来ることは自分でするという、適当な検診である。それぞれが刺したり刺されたり、見たり見られたりしていたわけである。
その際俺は、超音波検査で引っかかったのだ。多忙に感けて、そのまま二ヶ月たった。

本日再検査に臨んだ。結果はあまり良いものではなかった。
「疑い」という言葉になってはいるが、俺の見て受けた感じでは「これは困ったわい」である。
急遽、明日の午後にCT検査をねじ込んでもらった。


帰宅後、妻にことの顛末を話す。
当然のことながら、心配げにしている。心配するなと言ってもするのだから。
俺が逆の立場なら、居ても立ってもいられないだろうから。同じように心配してくれることが、何やらヨロコビだったりして。俺もまた、のんきなものよ、と呆れるところである。
もとい、心配しすぎたのか、妻は頭を抱え込んでしまった。
抱え込みついでに、本当に頭が痛くなったようである。
「悪いものじゃないんでしょー?」と訊くが、答えに困る。
明日のCTと、放射線科の医師による画像診断を待たねばいけない、ということにしておいた。
俺のあいまいな答えに、妻は責めるわけにもいかず、といった風情であった。
すまないなー、と思う。
精神的にも辛い一日となった。


君も心配するか。
メールという、自発的なツールを使って告白するのは気が進まなかったのだ。
少数とはいえ、心配を閲覧者に振りまくようで、ここで告白するのも気が引けたのだが。事実は事実だ。
猛暑。曇天模様で蒸し暑さが倍増である。
桑名や名古屋など東海地方では軒並み、36度を超えたとか。梅雨明けもまだであるのに、先が思いやられる。
温暖化などとヌルイ言葉では語れない、過酷な気候である・・・いや、それこそが温暖化の恐ろしさであるか。俺の認識が甘いのであるな、と自嘲する。


庭の芝生が早や伸び始めた。何を見ていたのか、今更に気づいた。
妻はしばらく前から、芝庭の惨状を指摘してきた、と言う。
俺は聞き流していたようである。覚えがないなどとは口が裂けても告白できない。
「芝刈り機を早々に買わねばなりません」と苦しげに、妻に共感を求めた。
「前から、芝刈りしてって言ってたやんかー。草むしりはできても芝刈りはできんて」と妻はお冠である。共感はしてくれないもようである。
「わかった」と苦々しく呟くのみであった。
予想していたこととはいえ、芝庭には手間がかかることよ。
面倒くさがりの俺には美しい芝庭を維持することは無理ではないか、ともう思い始めるのが、いけない。


昨夜の竹野内のドラマをネタに、友達と楽しいメール。

あの先生の専門は何なのでしょう?
穿頭ドレナージしていましたが、脳外科医ではないようです・・・。
前回分で、カイザーもしたようですが、産婦人科医でもないようですね・・・。
しかも、8年前に医師は辞めている・・・28歳~29歳くらいだったのでしょうか?・・・すると研修終わって2・3年ですね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
俺なら怖くてできません。
遠藤先生の「医療には金がかかるんだって(以下略)」のお話には激しく共感を感じました。あの先生が悪役めいて描かれているのは、俺は納得がいかない。



俺・・・何書いているんだろう・・・。
暑さで頭が逝かれたもようである。
妻はビールも飲ませてくれないし。エアコンは28度設定のままだし。ますます頭にくる。
夏は半裸にビール、エアコンギンギンのお部屋でごろ寝♪ なんだよー。
思い悩むことこそ、人の人たる所以。悩まない人は存在のない存在に等しい。
そんな言葉を言い訳に、悩みの迷路に迷い込むことを正当化している。

何かを考えない瞬間などないのだから。
蒸し暑い。最高気温は33度であったとか。


午前中出勤。
職場の温い冷房には辟易する。何度もブログで託っているが。
作業服が結構暑いのである。盛夏にはいつも半裸で仕事をしたいと思う、俺である。
暑いっちゃあ文句を言い、寒いっちゃあ文句を言う。わがままなものである。


午後より近場にドライブ。
海辺は暑くらしいので、山手に行く。

さすがに山手は10度ばかり気温が低い。車のエアコンよりも外気の方が心地よかった。
野生のガクアジサイがところどころに、青い涼しげな花を揺らしていた。
シーボルトが西欧に紹介した日本原産のこの花は学名を、彼の妻の名・おたきさんにちなんで「オタクサ」と言うそうだ。これは妻が俺に教えてくれたこと。ロマンティックな逸話である。
高くに登り、眼下を見下ろすと、杉の濃緑色の合間に、合歓の薄紅色の花がたくさん見られた。
梅雨明けを告げる花と言われているゆえ、今が盛りなのだろう。愛らしいふわふわした花である。そして、どこか儚げな幻想的なイメージのある花である。名前のせいであろうか?
山から雫を落とす名もなき小さな滝の、清らかな白糸模様に涼しさを感じながら。

小一時間のドライブであったが、涼感のある旅となった。山の息吹を胸いっぱいに、リフレッシュできた。
明日からも頑張れる。

曇天。
数日ぶりに30度を下回る最高気温であったという。しかし、体感温度は高い。湿度と相まって、不快な一日であった。


憂鬱感にかすかな頭痛。今晩は一人になりたかった。
早めの帰宅で、話し相手を待ち受けていた妻や子供には悪かったが、食事の後は自室で過ごすことにした。小さな子供のある亭主にしては、格別の待遇である。感謝せねばならないだろう。

頭痛は入浴したら、多少よくなった。眉間を暖かい手のひらで押さえていると、ずいぶん不快感が和らぐようであった。
しばらくこんな頭痛はなかった。気候のせいかもしれない。
梅雨時は毎年、多少憂鬱感にとらわれる方であった。恒例の行事ということだ。


入浴後に、香水の匂いをかぐ。
久しく使っていなかったので変質しただろうかと思ったが、俺の鼻には感じられなかった。
これまた久しぶりに肌に香水をつけてみる。爽やかな柑橘の香りに包み込まれ、気分もこころもち良くなった。

「あなたはプールオムのイメージじゃないと思う」と断言した女を思い出した。
俺のことを知り尽くしたような言い草を不愉快に思った、若かった俺を想う。
俺の好きなトップノートに包まれ、考えることはあの頃の、名残の恋である。あの頃はともかく、華やかな柑橘系の香りは似合わない年になった。


毎日忙しく立ち働いて振り返る暇もないけれど。
時間のできた時に、ふと自分を想うことのできるは悦びである。
ストレスが溜まり、ひとと他愛もない話をしたいと思いながら、一人の時間も大切であるとしみじみ知ることである。


あの恋はどこへ行ったのだろう?
俺はまた恋をするだろうか?
いや、もう最後だろうな・・・。
いやいや、恋は形を変えて、いつでもそこにある。
形は変わってもそれはそれ。何も違わない。

曇天。しかも33度の気温。
本日の職場はこころもち空調を強めにしてあったようだが、汗が滲み出た。屋外は蒸し風呂のようであったろう。妻の職場はさぞかし暑いだろうと、案じることであった。
蝉だけが元気である。

B型の人が見る自分の取り扱い説明書、のような本が売れている話を聞く。そこから、血液型の占い話に花が咲いた。
どこの職場にもいる(?)採血しないで血液型を当てるのが上手な人。俺の職場にもいるのだが、彼女にAB型だろうと断言された。
AB型のひとには悪いが、そう言われるとちらっとイラッときますなー。何故なんでしょうねー。
「A型ですが?」と無感動な応えを返した。すると、A型には思えない、と爆笑された。
失礼な女である。
根拠のない占いに、俺まで翻弄された昼休みであった。

午後からの小会議にて。予定がひとつ延期になることを告げられた。
向こうさんの仕事の進みが巧くいってないからなのだが。こちらとの絡みも鑑みて、早めに決断を下さねばならない。これからの一週間で何とかせねばならん、と再確認&再要請。
向こうさんに渡している以上、それしかできない。焦れる。


早めの帰宅。
風呂上りに今年初めてのスイカを食う。甘くて美味。
娘など、薄緑になるまで食っていた。行儀が悪いので、途中で取り上げたが。

妻と仕事について話をしようかなと思った。が、今日の職場の様子を話す妻の様子があまりに楽しげであったので、やめておいた。
この間の今日で、俺がいろいろ不満を言うのも、いちゃもんを付けているようで不愉快だろう、とも思ったからだ。
とすると、いつ言うのだろう、俺は。
言わなくてもいいかな、と言う気にもなり始めた。
友達が心配してくれて、いろいろとアドバイスをくれたことにより、不満の度数も減ってきたからかもしれない。

それにしても・・・。
妻の職場の仲間の話。仕事内容についての話。
娘のする、つたない言葉での幼稚園の話。
「聴く」というのは、取り留めのない話であればあるほど、その中の重要性を探すのに苦労し、その中の普遍性を知るのに難儀する。妻の真実を知るための努力は惜しまないつもりであるが、正直疲れた。

もっと語彙を増やしたまえ、奥さん♪
そして、順序よく話したまえ。
とても国文科卒とは思えんぞ。というか、それは関係ないか・・・。

昨日に引き続き晴天。
いや、昨日より暑かっただろう。俺の体感ではそうだ。
黄金の円盤は天頂から眩く照らし、地上のもの全ては喘ぐばかりである。
梅雨明けは聞かないし、早すぎるだろうが。まさに夏の太陽であった。

早朝よりぐんぐん気温が上がった。雪国育ちの白熊こと、俺は辛くて適わない。
寝起きから汗ばむ体で、ジリつく太陽を呪わしく見上げることだった。
蝉の鳴き始めたことに、初めて気づいた。
ベランダから見下ろせる、いつかのタチアオイは、数日前の大雨で茎を倒されたまま、強い日差しに負けてしなび始めている。梅雨明けの花を咲かせる前に、腐り枯れてしまうのかもしれない。
今年の夏の始まりは過酷すぎるようである。


朝一番に通院。予約は一番である。
病み上がりの上、この暑さで元気そうには見えない。通院日和ではないな、と思った。
特に相談することもない。
妻の就職に伴う、俺の気持ちについて少し話した。
頭では納得できているのだが、どうも感情が納得いかないようである、と言うと、
「愛しているんですなー」と主治医は嬉しそうな顔をした。
そんな顔をするな、と俺は思った。
愛するという単語を日常会話の中で聞くことは稀である。ましてや、男の口から面と向かって言われるなど、俺は恥ずかしくなってしまった。
「はあー」といい加減な相槌を打っておいたと思う。

まったく・・・愛なのか妄執なのか知らんが、俺の複雑な気持ちを理解しておらん。精神科医としては優秀な部類なのだろうが、カウンセラーの素質には欠ける男であることよ。
というか、俺こそが医者としてもカウンセリング能力にしても、欠けるところのある男であるのだった。だから、他人のことをアレコレ言ってはいけないのだが。
何だか、納得のいかない診察を受けた今日である。
・・・悩めることこそ生きる資格、だそうだから。

処方内容に変わりなし。寝つきが悪くなったので、マイスリーの小さいのを飲むように勧められた。

晴天。暑かった。しかも、蒸し暑い。本日の最高気温は32度であったそうだ。
空調の緩く入った職場には容赦なく、陽光が照りつけていた。
駐車場の車のボンネットからは陽炎が発つ。

こんな暑い日であるというのに、妻の職場ときたら・・・。空調がないとか。
俺は、もうそこでアウトではないか、と思うのだが。妻は暑さに強いようで、窓を開けて入る微風があれば耐えられる、と言う。
そこまでしても、働きたいのかと思う。
聞いている範囲では、パート仲間との関係は良好であるようだし、仕事も基本的に座り仕事で楽だとか。時給も以前働いていたところよりも高い。俺がとかく文句をつける要素はない。
水分補給と休憩をこまめにとって、熱中症を避けるように忠告するしかなかった。

機嫌よく働きに出ているのに、俺は何とも・・・不満というか、納得のいかない理由がつかめずにいる。


あまり体調が良くないからか、何に対しても億劫である。
私生活の荒れを営業中は出さないだけの自信は、あるつもりである。しかし、俺の性質面を攻撃されると、もう如何ともしがたい。

冷たいのも、そっけないのも、冷静ということさ。
今では怒りを向けられるのも、コミュニケーションの一環だと思っている。

晴天。陽光は夏には程遠いが、気温は高かった。
暑さが病み上がりの俺の体力に影響することだろう、と思われた。
ただし、今日は空調万全の室内での仕事であったので、さほど苦痛を託つことはなかった。立ち仕事は辛いが、こういうときもある。


ひとは何を信じて生きていけばいいのか、という問いをとあるブログで見た。
俺の答えは、自分を信じるしかないのではないか、というものである。格好つけすぎた答えなのだろうか?
他人を信じることは尊いことである。しかし、ときに信じることと頼ることがまぜこぜになってしまうことがある。心弱い生身の我々はよくよく自らを省みるべきであろう。
誰かの輝きで自分の人生を照らすのは、言いすぎの観を懼れずに言えば、俺は寂しいことだと思う。

アイデンティティを確立している大人ならば、自分を信じて進みたまえ、と思う。
何より大切なものは、自分を信じる力である、と思う。

どんな哀しみに出会おうとも、どんな苦しみがわが身を襲おうとも。ひとはまた立ち上がり、前を見つめて、一歩を踏み出すことができる生き物なのだ。俺はそう感じている。
どんな仕打ちにあっても、どんな怒りを覚えても。ひとは自らの奥にそれを孕み、融かし、許すことのできる生き物である、と俺は思う。

ここを見ることのないブログの主への答えだったが、君への答えにもならないか?


アイデンティティといえば、300日規定に苦しむ戸籍のない子供たちに対して、認知調停という方策が全国の裁判所に周知されることとなった、そうだ。
子供の利益のためには必要なことである。喜ばしいものだが。
男女の貞節に根ざした300日規定が通用しなくなる世の中は・・・アレだな、と思う。
アレというのは「あんたら諸事情が整うまで、ゴムつきのエッチで我慢できんのかね?節操のない」ということである。
もっとありていに言えば「中出ししました。生まれました。愛の結晶です。さ、戸籍ちゃんとしろよ、でつか・・・」という呆れ感である。
幾らかの人たちが感じている納得いかない感じは、つまるところ、そういうことなのだと思われる。

昨日の大雨のなごりか、小雨の降り続く一日であった。

俺の身体にはさまざまな苦痛が襲った。
嘔気は治まったが、食欲はなし。相変わらずのウイルスダイエットだ。
軽く脱水状態ゆえ、点滴にて補充しての勤務である。患者より俺の方が様子が悪い。
ここまで来ると、さすがにまずいと思われる。
まずいといっても対処療法に変わりはなし。


妻がパート仕事を見つけてきた。
10時から16時までの、問屋の倉庫勤務である。入出荷の作業をするそうだ。
また力仕事があるのではないか、と俺は余計な心配をする。心配をする俺の体調を、妻が心配している。
心配し合いの夫婦である。
ま、妻がいいと思って決めてきたのだから、俺は何も言うまい。
明日から来てください、と言われたことが気がかりであったが、幼稚園のあずかりのことなど、妻はもう手はずを整えてきてあった。
頼もしいと言うべきか。
予報は晴れだったが、曇り空。湿度の高そうな一日であった。

俺の風邪はまたもや進化(?)した。
非常に口が悪い。朝食も普段の半分しか食えなかった。無理やり食ったら、嘔気がきた。
食ったものを出すのは気が進まない。誰しもそうであろうが。我慢した。
我慢も職場に着いたころに潰え、吐いた。全部出した。しばらくは、胸がむかついて仕方なかった。
おまけに、大動物にふさわしくない血圧だったらしく、立ちくらみがした。
高熱があるわけでもないのに、暇を見つけては横になりたかった。

それにしても嘔気のあるときに、臭いの強い職場にいることの辛さよ。嘔気こそ最大の敵であるな。

昼も夜も、食思なし。腹が減らない。
俺の体内のグルコースは消費されつくし、今では脂肪が消費されていると思われる。
これはいいかもしれない。
風邪引きダイエットというか、ウイルス・ダイエット♪
くだらないことばかり思いついては、一人忍び笑う夜更けである。風邪のウイルスが、あほなことを考えさせるのだと思おう。


当然のように、風邪引きの俺は家庭内では排斥の対象である。
「あたしらに感染さんといてよ」と言う妻の元気具合が恨めしいことだ。

PCに向かう元気だけはあるが、早めに休むことにする。

曇天模様。陽光が射すには射すのだが、雲の後ろからであった。

昨日から風邪気味であった。起床時がだるさの極みであったが、鬱病の所為か、風邪の倦怠感なのか、判然としない。情けない。
しかし、仕事を休む習慣はない。
検温もしないでおいた。
なまじ高熱であることが判明すれば、気力も弱くなるばかりである。仕事を休めない以上、意味のない行為はしないでおく。
熱があることは確実な感じをもったゆえ、家置きの感冒薬を服用。二倍量である。(←絶対にしてはいけません)

掟破りのクスリが効いたのか、立ち仕事に支障は来たさず。あまり難しい仕事にならずよかった。
気合勝負といおうか、体力勝負といおうか、本日は仕事を激務と感じる一日であった。
一日を終えたら、どっと疲れが出てきた。気も弱くなってきた。
いつの間にか、雲はきれいに掃き去られ、陽光が戻ってきていた。むぅっと暑くなっていた。暑さに弱い俺はますます凹む。


牛肉の産地偽装事件。
ミートホープとそっくりな事件であるが。社長の顔も何やら似ているし、本社に牛の像が設置されているところもそっくりである。
同じ事件の報道を見ているかのようである。

食の偽装の事件は、俺がブログを始めてからでもかなりの数にのぼる。氷山の一角か。
所詮食い物。腹を壊さなければ、自分の舌の能力の問題でもあるのではないか、と皮肉な俺は思ったり。ブランド物を有難がる風潮はもう辞めようや、と思ってみたり。
まっとうなところでは、真面目な他の大多数の業者が迷惑しているだろう、と気の毒に思ってみたりする。
そして、落ち着くのは故人の教えてくれた次の言葉である。
「ずるいこと、卑怯なことは必ずばれる」である。
精進、精進。

(後付)
終日雨。霧雨。
気温低めにして、肌寒さを感じるほどであった。

どんよりと垂れ込める雲が鬱陶しい梅雨空であったためか、頭が重い。
体もだるく微熱のある感じがした。
左耳に違和感があり、リンパ腺が少し腫れていた。
風邪を引いたのかもしれない。
どうもテンションが上がってこないのは、鬱病の所為か。俺の気分も霧雨のように、向こうが煙って見える。
お天気屋で困ることだ。


夕刻には本降りの雨になった。何日ぶりなんだろう。
九州では死者も出たという雨は、まだこちらには来たっていない。それどころか、空梅雨だという噂も聞かれるた。
晴天。梅雨の気配はちらともない。が、この初秋のような爽やかな天候も、今日明日までとか。

宮崎勤死刑囚が処刑された。
20年も前の事件であったか。ちょうど俺が高校・大学の多感なころに起こったのだな。恐るべき事件として、驚きを持って見聞きしたことであった。
俺には幼女に対するサディズムを伴った性欲が理解できないし、彼が精神病だったのかそうでなかったのかもわからない。
しかし、許されざる者がこの世にはある一定の割合で、確かに存在するのだと思う。彼もその一人だった、と俺は思う。


立ち仕事の疲れに、バレンボイムのワルキューレを少し聴く。フルトヴェングラーのDNAを受け継ぐ情熱型の演奏である。一日の終わりに聴くには体力が要る。が、ワーキングハイとでも言うのか、それに拍車を掛けて、ちゃんと疲れた(?)感にしてくれるのがよい。
疲れたのを疲れたと意識させてくれるとでも言おうか。


多くの中にいても一人。一人でいても一人。
人間だもの。一人で生まれたのだもの。死ぬ時もおそらく一人だもの。

一人で立っていけることこそ、大切な一歩だと思う。
耐えることが対価を生むのだと思う。
意に添う環境はそうそうないのではないか、と思う。
或いは・・・。今日がすべてではない。明日は状況が変わるかもしれない。そう思うことが力を生む。
それはまた、現実に起こりうることなのだから。

君はまだ、すべてを見切ったわけではないのだろう?
一人かもしれないが、一人ぼっちではない。五感に触れるものだけが存在ではないだろう?
君を支え励ます人の、いくらも居ることよ。
大丈夫、乗り切れる。
晴天。
陽光の射す職場が異様に白かった所為か、夕方より頭痛。
拍動性の頭痛は次第に強くなり、片頭痛と自覚された。
忙しかったゆえ動かざるを得ないのが、非常に辛かった。動くたびに強烈な痛みに襲われる。
イミグラン服用。間に合った。
地獄のような夕方であった。


遅めに帰宅し、妻を相手に夕食。
電話をしておかなかったから、おかずはあり合せの物しかなかった。
茄子の味噌煮の残りと、大根菜の煮びたしの残り。
申し訳ないと思ったのか、妻は出汁巻き卵を作ってくれた。飯二杯食う。

食事時の話題に、妻が仕事に出たいと言い出した。
経済的に困窮しているわけでもないのに何故か、と俺は尋ねた。
妻の説明はどうもはっきりしない。
小遣いが欲しいのか、と言えばそうではないと答える。パッチワークにも飽きてきたから、とか言う。
暇だから仕事に出たいと聞こえて、俺はちらっと頭に来た。
「暇つぶしに仕事に出るような考えはやめなさい」と言い放った。

すると妻はぽつぽつと意見を述べ始めた。
取りとめもなく、あちこち枝葉の付く妻の話を聞くのは、たいそう忍耐の要ることであった。

要約すると、以下のようであろうか。
娘が幼稚園に行くまではとても忙しいのに、行ってしまうと途端に時間が空いてしまう。
家事のローテーションを済ませてしまうと、一軒家に一人きりになる。
世間と隔絶しているようで、寂しい。

先に言っておった「パッチワーク・・・」云々とは違うではないか、と思ったが。
何となく気持ちはわかる。
俺も休職しているおり、社会から取り残されそうで、技術と知識が錆付きそうに思えて、非常な焦燥感と不安にとらわれたからだ。
研修医のように糸結びしてみたりしてたっけ・・・。
あの時の気持ちに似ているのだろうか。

病気の俺と妻のそれを比べるのは難しいのかもしれないが、自分の経験でしか他人の気持ちを量れない俺は、そのように思った。
「好きにしたらよろしい」と言い置いた。

妻が外に出るのはいいのだけれど・・・。
妻の良いところを目ざとく見つけて言い寄る男がおると、嫌である。俺は嫉妬深いのだ。
あほな心配をしていると笑われようが、妻を見出した俺のような男がもう一人この世におらん、とは限らんのである。俺の考え(妄想)の中では。
よって、女ばかりの職場を見つけてきてくれよ、と俺は心の中で祈っている。
というか、まだ妻が本気で求職すると決まったわけではないのに。
先先ばかりを勝手に想像しては心配する、俺である。
岩手と宮城の地震で、突然に命をなくした方々。
休日の秋葉原で、凶刃に倒れた人々。
俺の命を変わりに差しあげたい、と思った。誇張ではなく。


今日の後にはまた同じように一日が訪れると、当たり前に思う我々である。
毎日は偶然の危うさの上に乗っているのかもしれない。

踊る骸骨が「死を想え」とささやく。
突然の死は言うに及ばず、病床での死ですら、用意された死ではない。
生も用意されたものではないが、明日も同じと思う凡夫ならば、精一杯過ごそうではないか。
明日は今日とは少し違うかもしれない、と希望を持って。
晴天。爽やかな乾いた風の吹く、秋のような天気であった。

父の日に合わせての、幼稚園の参観日。午前中の予定はそれである。
娘と二人で幼稚園に登園。
我先に案内をする娘に、幼稚園への馴染む様子が見て取れた。

「おかたづけ」と「ようい」をして、かばんを片付けたり、ズックを取り出したりするのであるが、園庭にでる。
しばらく自由に遊んだ。
娘は友達も多いようであった。俺は見守るばかりであった。
見渡してみると、結構父親たちが参加している。父の日であるけれど、昨今の家庭事情を鑑みてか、父親限定にはしていないのは勿論のことであったのだが。
それから、親子で体操、というかお遊戯(?)のような踊りをした。
照れくさかったが、父親たちはみなそうなのだろう。適当に廻ったり、腕を挙げたりしておった。俺も同じである。
園庭での行事は更に続いた。ゲームをしてみたり、手遊びを親子でしてみたり。
照りつける日差しが強くなり、時折吹く爽やかな風に汗の乾くのを感じるころ、園内に入った。

教室では、礼拝へと続く長い仏教系の歌と標語の斉唱。仏教色はかなり強い。
だが、ひとつひとつの標語はけして奇妙なことではない。
ありがとうと言います。
人の話を聴きます。
仲良くします。
そのようなものである。
娘も真面目な顔をして、標語を唱えていた。赤ちゃんめいた頬っぺたの娘の真面目な様子が可愛らしく、微笑を誘うことであった。ひときわ大きな口を開けて、先生をしっかり見ながら唱えていたと見えた。

それから、父へのプレゼントとして、かねてから作っていたといううちわをもらった。
うちわには娘の作った折り紙の作品が貼られており、花のような絵も描かれていた。
「上手にできているね。ありがとう」と言ってやった。嬉しそうに笑っていた。


帰宅後、かるく昼食。そうめんを食した。
妻に幼稚園の様子を話して聞かせた。一緒に行けばよかったと、羨んでいた。
父の日だということで、普段ふれあいの不足している俺と娘を気遣ってくれたのか、一人の時間を楽しみたかったのか、どちらもなのだろうが。
後悔先に立たずでしたね、奥さん♪


午後は予定通りの、造園業者へ出向いて樹木選び。
シンボルツリーには松も梅も選ばず。株立ちの樫の樹にした。
樫は精が強い樹で、常緑であるから。ふさわしいと思った。
一本立ちでないところがいい、と妻も賛成してくれた。
そのほか、玄関脇にそよごの樹を、やはり株立ちでひとつ。赤い実のなる樹だ。
小鳥などが訪れてくれると楽しいと思う。
和室前の庭に入れるのに、夏椿を一本。白い愛らしい一日花を次々に開かせるしゃらの樹である。
俺にとっては娘のイメージである。可愛くて初々しく、日々成長する娘に似ている。
後のこまごましたところは、造園業者の一存に任せる。予算が決まっているので、その範囲で他にも樹を入れてもらうことになっている。

少々疲れたが、その後一応職場に顔をだしておいた。dutyではないのだが。

一日、充実していたと思う。
黄昏の空に一部、ガーネット色に輝く部分があった。その中に筋雲がいくつか。銀色に輝いている。
美しい気象にしばし見とれた。
先日、訪問してきた庭師があった。
ずいぶん「先日」のことになるのだが。

庭の造作をその庭師に任せることになった。
小さな造園業者で、昔かたぎの父親と息子でやっているようなところである。
大掛かりな工事をするつもりはない。
田舎の家にあるような、豪勢な庭をつくるわけでもない。

居間に向かうスペースは芝庭にすること。
これは、妻の以前からの願いを聞きいれた結果である。
和室に向かうスペースは、樹木を多く入れること。
いずれは、しっとりとした苔のじゅうたんに覆われるようになると良いと思う。
玄関の突き当たりにある明り取り(?)窓から見える部分に、小さな坪庭スペースを作ること。

西側の和室に面した庭には、生垣を作ることになった。
西日を防ぐのと、目隠しのためか。田んぼの中の一軒家であるから。
問題は南に面した部分の造作である。
妻は、いまどきのオープンガーデンを望んだ。
俺は、見通しの良すぎるのは嫌だと言った。居間の窓は大きく、路地であるとはいえ、通行人から丸見えだからである。
妻は何のかんのと言い連ねたが、そこは俺の意見を通した。塀を作ることになった。

具体的な工事の内容はそんなところだ。

工事は週明けから始まるそうだ。3日ほどで終わるらしい。
父親の庭師の様子では、あまりアバンギャルドな庭は造らなさそうである。オーソドックスなものを望む俺とは合っていると思われる。
「今時流行りではなく、普通の、手入れの楽な庭にしてください」と要望を伝えておいた。


眠れずの当直明けで、話し合いは疲れた。
妻は「あんな適当な要望だけでいいんー??」と言ったが、素人がアレコレ口を出すよりいいのだと、言いくるめた。
庭は何年もかかって作り上げるものだから、最初の基本さえ出来ていればいい、と俺は思うのだ。

日曜日には、庭に入れる大き目の樹をいくつか選ぶために、造園業者に出向く予定である。
明日も天気が良いようで、よかった。
「シンボルツリーに松とか選ばないでよ!」と妻が、まだグズグズ言っておる。うるさいことだ。

早朝覚醒がある。
このごろでは4時にもなれば、外は白々としてくるゆえ、「ま、いいか」と思う。
初々しい太陽が現れるのをベッドで、眠るでもなし起きるでもなし、感じるのも悪くはない。
でも、この早朝覚醒はルボックスの所為だと思うのだけれど。どうなのだろうか。


tachiaoi.JPGタチアオイの花が咲き始めた。その先から陽が昇る。
次第に明らかになる花の色の美しさ。濃紅色、薄紅色、ほのかな桃色、白。
俺の好きなのは、ほのかな桃色である。
清明な朝の大気の中、瑞々しく息づいている。
一日頑張ろう、と南の方に向かって、挨拶をする。




今はまだ、暑いことは暑いが、入梅にも至らず。まるで秋のような爽やかな風の、時折吹き抜ける。
タチアオイの花が頂上まで咲き終わったら、ヒマワリの季節だ。

昨夜、風呂上りに眠くなってしまった。
就寝は9時過ぎである。おそろしい早寝である。
妻よりも早く、娘と同じくらいに眠りに就いたのではなかろうか。


案の定、夜中に目が覚める。0時ごろだったと思う。
悪いことに、エロい夢を見て目が覚めた。
どんな夢だったか・・・書いても良いのだが、ここはご婦人の閲覧者さまが多いゆえ遠慮しておく。
リクエストがあれば書く(爆)。
ま、職場関係でエロい夢だった。
登場人物のことを考えずば、相当楽しい夢だった。

興奮冷めやらず、隣で寝ている妻に手を伸ばした。
妻は「はあー?えっちは駄目」と拒む。
『眠いから?』と訊くと
「今日だけは絶対駄目なんだよー」と懇願する。答えになっておらん。
『いいじゃないか』と、胸元に手を入れた。
「もー」と言いながら、させるままにしているゆえ、そのまま続けた。
すると、下着のあらぬところに指がはまり込んだ。
『?』と妻と目を合わせると、苦笑いしておる。
一瞬後に妻が答えをくれた。
「ブラのレースのところ、穴開いてたやつだからー。先生、そういうのやでしょー?」
確かに、俺は貧乏臭く思えて、着古した下着を着けている女とはいやである。
俺の性向をよう知って、拒んだことよ。
二人で苦笑いした。

可笑しくて可愛くて、その気も無くなった。
『捨てたら?』と二人並んで仰向けに寝ころび、訊いてみた。
「今日一度着て、捨てようと思ってなー。先生がえっちしたくなるとは思わなかったからー」と笑う。
この夜中に、その気になったワケは妻には話せない。
『あほ言え。俺はいつでもスタンバイOKやぞ』と強気の答えを返しておいた。

外は弱い雨が降っているようであった。かえるの鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる。
小さいマイスリーを一錠、安らかな眠りのために飲む。


起床は9時過ぎ。効きすぎだ。
12時間近く寝て、頭が重い。まだ、世界が廻っておる。
自業自得か。クスリが悪いのか。
前者だな、おそらく。
晴天。
このところ梅雨めいて、ムシムシする日が続いたが、今朝はさほどの湿気はない。
ここぞとばかりに洗濯を沢山干す妻を、ベランダに見て、通院に出かけた。

俺の体調は問題ない。職責も果たしており、嫌いながらも仕事に行くのが辛いということはない。
日内変動はない。
寝つきもよい。
ただ、細切れに目が覚めてしまうのが、悩みである。
サイレースを使うと、翌朝に少々残ってしまう。眠気でぼやっとしてしまうのはいけない。

ということで、夜中に目が覚めた時に飲むようにと、マイスリーが出た。小さいやつだ。
これは作用時間が超短であるから、いいかもしれん。
しかし・・・沢山蓄薬してあるやつなので、今更いらないんだよな・・・・。苦笑する。
くれるものはもらっておくか、と黙ってもらっておいた。
闇に流して儲けようなどとは、考えていないので。欲しい人がいても声をかけないでくれ。


帰宅して、こうして日記を書き。
次は自分の病院へ出勤である。
では行ってきます。

「医者と弁護士は友人に持っていたほうがいい」と巷で言われる。
その通りかもしれない。

俺はその言葉通りの人々を沢山みてきた。
俺に健康や病気のことを相談してくる相手はいやだった。
所詮、俺自身を好いてくれるのではなく、俺の利便性を期待しているのだと思えたからだ。
そういう「友達」とはそれなりの付き合いをしてきた。

いっそ付き合わなければいいのに。
集団の中で孤独を願い、孤独の中で集団を願う・・・そんな天邪鬼な性癖が、俺に付き合わないという選択をさせなかった。
彼らの中には際限なく俺を活用した輩もいた。
すると、俺は孤独でいたくはないのに、底知れぬ孤独感を感じ、まるで道具にでもなったような気がしたものだった。

君にそれを感じないのは何故なのだろう。
君が、俺がソレを嫌っていることを知っているからか。
それだけではないように思える。
嫌っていることを知りながらも、心配で胸がつぶれそうになりながら、本当にやむにやまれず尋ねてくる君の様子が、俺に伝わってくるから、だ。おそらく。
ちゃんと君の気持ちは伝わっているんだよ。

心をそこまで開示し語った相手は、俺にはいない。
心をそこまで開示された相手も、、俺にはいない。
だからなのだ。


多分実際に診察しているわけではないので、そうそう的確なことは言えない。
医学は科学であるから、診ることもなしに、めったなことは言えないのだ。
俺は、心配そうな君に「すまない」と思いながら、教科書的な一通りの助言をしただけだった。
勇敢な君は、ちゃんと診察を受け、或いは受けさせて、「大丈夫だった」と俺に感謝を述べる。

感謝されるようなことはしていないのだよ。通り一遍のことしか言っていないんだ。
それでよければ。
ま、続けざまはさすがにいやだがね(苦笑)。



白雪の真綿のやうな柔らかさ 抱かれてみれば 思いのほかの温さかな(駄)
雪は美しいけれど冷たい、ひとを殺すこともある・・・そう思うだろう。
雪になれた俺たちは、雪の温かさも知っているのだ。
母の乳房に抱きとめられるような、柔らかな白雪に抱きとめられて、死ぬまで、そうしていたい。

たいていの出勤時、コンビニで軽い食べ物(小袋の米菓子類)と煙草を買う。
今朝はたまたまコンビニには寄らなかった。
煙草だけは切らすわけにはいかない。何せ職場には煙草は売っていないのだから。
道路端の自動販売機で買うことにした。

そう!タスポの初仕事だ!
コンビニではなく自動販売機に寄ったのは、それが目当てだったと言っても良い。
新しいカードを手に入れた、子供みたいだなと自嘲する。
金を入れ、銘柄を選び、タスポをかざす。機械的な女の声がガイドしてくれる。
今までしゃべることなど無かった煙草の自動販売機が、しゃべることに軽く違和感と可笑しさを感じた。

車に乗り込もうとすると、後ろから来た自転車の老人に話しかけられた。全くの未知の人である。
「兄ちゃん!タスポ持っているんけぇ?」
『はい』
「わし、まだ持ってえんさけぇ、店まで買いに行かなあかんのや」
『不便でしょう?』
「ほやってー。邪魔臭いことんなったなー」
方言の強い老人であった。だが、未知の老人との会話は楽しかった。
面倒なカードことタスポで、楽しいことがひとつ。


職場での世間話でもタスポのことが出た。
我々の職場の喫煙率はかなり高いのだ。

お姐さんの一人が言う。
未成年者喫煙防止のためとはいっても・・・。
極悪の不良息子ならば、喫煙しない兄に向かって「お前の名前で作っとけや」と言うのではないか。兄も弟の振る舞いを恐れて、「はい」と作ってしまうのではないか。
そんなことを述べた。
自動販売機の識別コードが厳しければいいが・・・。そんなこともありうるかもしれんな。
お姐さんのブラックジョークにみなで苦笑した。
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