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快晴。

気分は依然として晴れない。
だが、光は遠くに見えてきた。何度目かのトンネルの出口だ。
出口を指し示してくれたのは、映画「ベン・ハー」と君の言葉。

キラキラと輝いて、殻の奥まで光の射す。
その輝きが、やがて自らの存在を値づけるだろう。
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今日は一日眠ってばかりいた。
飯も食わず。家族は完全に俺を放っておいてくれる。これも優しさなのだとしたら、なんと残酷な優しさだろう。

友達の姪の生まれたのを聞く。
赤ん坊の誕生。俺もかつては望まれて生まれた赤ん坊であったはずだ。
姉に続いての待望の長男であったときく。
それなのに、家のためにならない長男になってしまった。

何もかもが辛く苦しい。
言葉はほしいが、今の俺には普通の言葉さえ刺すように感じられる。
俺のほしい言葉はわかっているのだが、思うような言葉をかけてもらえない。思うような言葉が何なのかすら、俺にはわかっていない。

もう目が覚めなくてもいいと思う。
精神科にいつもの通院。
土産話がたくさんありすぎて、話しきれない。ゆえにこと短めに症状を話すのみ。
中程度の落ち込み状態にあるそうだ。癌のことやら、その後の職場復帰に伴うストレスなど、危難が俺に襲いかかったことを考えれば、ありうることだそうだ。
ストレスって便利な言葉であるなー、と感心する。
ストレスに負けた自分にも頭にくる。

気持ちを安定させる薬を増やされた。朝昼晩と三回も飲まねばならん。
ここのところ減薬されていたので、それだけでショックだ。


帰宅後、妻とけんか。
こんな病気の俺など要らないだろう、と皮肉を言った。否定してほしかっただけの甘えに起因するものである。
妻は、必ず治るからと俺をなだめにかかった。俺は気に入らなかった。
病気だから、病気が言わせていると思われているのが、癪に障る。
「こんなものを飲んでも、ちっとも良くなりません」と吐き捨てて、薬の袋を妻に投げてよこす。
そう言いながら、レキソタンの小さいのを3つほど飲んで、自室にこもり寝てしまう。薬に頼らないわけにはいかない身の上なのだ。

俺の脱ぎ散らかした靴を揃え、服を拾い掛けておいた妻に、また腹を立てながら、申し訳ない気持にもなる。

「出ていきたい。それか、お前たちが出て行ってくれ」と、楽しかるべき夕食の食卓には似つかわしくない暴言を吐き、家族を凍らせてみた。
黙って食事をとる光景は、滑稽だった。家族ごっこのようだった。

また書斎におこもり。
みな腫れものに触るように俺を扱いやがってー、と腹がたつ。
俺はいったいどうしたいのだろう?
独りになりたいのか、独りになるのが怖いのか。
とにかく、こんなことでは娘の教育上にも情操上にも、悪い影響を与える父親になりそうである。
頭の痛いことだ。
快晴。
暑いが、風の中に秋の匂いを感じる。

とても辛い一日であった。出勤したくない気分であった。
出勤してしまえば、仕事はちゃんとできる。
俺の前頭葉では何か得体のしれない激しい嵐が巻き起こっているだろうというのに、脳の別の部分ではやるべきことをこなしている。不思議な感覚である。
体はだるかった。ついてくれていた女子職員が「元気ないよ」と、俺に文句を言った。何か答える前に別の女子職員が「○○はデプレ(うつ)だから」と口をはさんだ。

そうなのだ。周りはみな俺が病気だから仕方がない、と諦めて見ている。
また、いつものやつだろう、と冷めた目を向ける。

どのステージでも、役目は俺でなくてもいいのだ。俺がいなければ、他の誰かが役目を勤める。それだけのこと。


俺が俺と認められ、必要とされる場所はどこにあるのだろう?
そもそもそんな所などあるのか?

職場など俺は歯車の一つにすぎない。
家庭でも、父親らしいことなど一つもせず、夫としても優秀な部類ではない。俺でなくてもいいのではないか、とよく思う。妻は俺と暮して幸せなのか?
夫婦で、そのような深い話などはしない。
俺の顔色を見て妻は、いつものうつの波が来ていると思っているのだろう。
新潟の家に、両親はもうなく、弟の家庭があるばかりである。俺の帰るところではなくなった。
最愛の姉も、自分の家庭を持っている。
帰るところなど、どこにもない。
自分の家でさえ、仮の宿。
日本晴れ。一点の曇りもない、快晴。


今日から世界自殺予防週間が始まるそうだ。
自殺者の多くが、鬱状態に陥っていたということを思えば、鬱病を患う俺にも身近なことである。

俺は気づくと「死」について考えている。「死」に関する単語が頭の中に浮かんでは消え続けることがある。
俺が死んだら・・・・。
俺が死ぬとしたら、それはいつなのか?
どのようになのか?
多くの人が自分の死について日常考えることがない、とするならば、俺の状態は普通ではないのかもしれない。
だが、「死」について考えるということは「死にたい」ということとは違う。

俺は自殺はしないのではないかと思う。
なぜなら面倒だからである。ただ、その一点だけである。だから、俺は死にたくなったら寝に逃げることを繰り返している。俺にとって、寝ることは小さな死とも考えられる。
まだ「生」への欲求が極めて低い状態であるとも考えられる。
正直、ひょいと隣町へでも出かけるように、あの世へ行けそうな気になることがよくある。焦る。

それとも・・・「死」について考え煩悶するのは、「生」に執着しようとする気持ちの裏返しなのだろうか?


やさしい妻がいて、かわいい盛りの娘がいる。新築の家に住み、社会的立場の高いとされる職業につき、経済的に困窮しているわけでもない。
何が不満なのかと、贅沢だと、思われても仕方のない悩みである。
でも、覗き込む淵の底は暗く底知れず、何かが苦しげに蠢いているのがおぼろげに見とれるのだ。こんなものに気づかずにいたかった。
気づいてしまった今は、ぼんやりしているとすぐにそれは、俺の心のはざまに忍び込み、おぞましい姿を曝している。
とても切ない。


仕事が始まって、それに一生懸命である。職場にいるのは嫌ではない。忙しく、仕事のことだけを考えていられる環境は、むしろ救いである。
しかし、家に帰るとき、家に帰って一息ついたときが、いけない。どうっと疲れが出る。
何もしたくなくなる自分が嫌である。
賑やかに語りかける家族が煩わしかったり。妻の話を聞きたいと思い、娘の話を聞いてやらねばと思うのだが、どうもうまくいかない。話したり聞いたりする容量は職場で使い果たしてきている、とでもいうように。
仕事と家庭の両立はなかなかに困難である、ということか。
金風清しい、美しい一日であった。
気分はいまいち。つまらん気分であった。


幼稚園の迎えに行く道すがらに、妻が警官の尋問を受けたとか聞く。昨日の同時刻に、人身事故があり目撃者を捜しているとのこと、であった。
最近の警察官は物腰が丁寧になり、優しげになった。それは同感であるが、いいことなのか、悪いことなのか。昔の威圧感のある警官を懐かしく頼もしげに思い出す。
妻は「ぴっとした制服姿がかっこよかったー。男前に見えたー」とか言う。俺の制服姿には無感動なのに、いつから制服フェチになったのだろう、と思う。

ま、俺の制服姿はだらんとしているしねー。悪かったね、ぴっとしていなくて。
というか、俺の前で他の男をほめてはならん。

勝手に自分を卑下して、すねる。
少しつまらん気分が増した。

また、制服の女性警察官に悪さをする容疑者の俺、というしょうもない妄想をしてしまい、更につまらん気分加速。
ありがち過ぎてひねりが足らん妄想である。
妄想力の減退を感じる。
妄想力の減退は精力の減退に通ずるというもの。年齢の所為だろうか、体調の所為だろうか。
いや・・・きっと秋の所為だろう。
秋はアンニュイな気分。アップダウンが激しくてお疲れ気味、である。


左の膝に青あざを発見した。いつできたのか覚えていない。
秋の寂しい星空に、半分過ぎの月が「どうしたか?」とでも言うように、液晶画面を覗き込んでいる。

早朝、ぱらりと雨が降った。ところによっては、激しい一雨があったようであった。
日中は快晴。

昨夜恐ろしい不安感に襲われた。翌日の月曜日の勤務に対する不安だったのだろうか、そうではなかったのか、判然としない。
こっそりとレキソタンの小さいのを一錠飲んだ。ほどなくして、軽快。落ち着いた気分で就寝できた。


月曜日のこと、職場は慌ただしかった。朝のラウンドを終えて、ミーティングもそこそこに階下へ降りて商談。たくさんのお客で店は溢れており、息をつく暇もない。
週末の休みのおかげで足腰の調子は悪くない。それでも朝から歩き回っていると、脚が重くなってくる。静養中にかなり怠けてしまったのだなあ、と今頃になって後悔である。静養と体力回復とは、ほんに難しいことよ。
気分的には、今日もあまりぱっとしない気分であった。以前から月曜日は憂鬱であったから、昨日の影響でもないと思う。夕方には多少向上しているあたりが、教科書的である。苦笑。
寛解に至る道は険しくも長いものだと、身をもって知る。


早めに帰宅して夕食。
本日の副食は、味の薄い肉じゃがであった。
できたてで味のしみ込みが悪かったのだろう。明日になれば、味もしみて旨くなったことだろう。今晩のうちに全部食べてしまったけれど。

妻の話を聞きながら、娘の食事の行儀を直しながら。ゆっくりとした食事とは言えなかったが、家族の食卓とはそんなものだろう。
妻が突然「女はいつまでたっても女なのねーと思った」と意味深なことを言う。
聞き流していた話が何だったのか尋ねた。
すると、スーパーマーケットの駐車場で、車の窓を全開にし、恋人と思われる相手にしなだれた感じで電話をしている、普通のおばさん風(50代か?)のご婦人に対する、妻の感慨を述べた言葉であった。
「(50代ならば)まだきれいな人もいるでしょう?色気のある人も」と俺は返した。
しかし妻は、そのご婦人が化粧気もなく、おしゃれな服装もしておらずだった点を強調する。ご婦人の容姿が想像できるような物言いであった。覚えず笑いのでること。
「他人の会話を盗み聞きするのはやめなさい」と窘めておいた。が、顔は笑っていたと思う。
「盗み聞きでなくてー、聞こえたんやもーん。窓開いてたからなー」と妻は笑う。
悪趣味だが、どんな顔をして聞いていたのかと思うと、可笑しい。


女はいつまでたっても女か・・・。男だってそうだろう。
妻は世間話のひとつとして話したのだろうが、俺は深読みしてしまう。というか、深読みしたい。

もうちょっとしたら、我々も男と女だったことを思い出させてやるよ、奥さん♪

突然の雨が落ちてきたり、晴れ間が覗いたりの、不安定な天候。
秋の長雨の走りを思わせる。

月曜日から勤務を始めて4日である。疲れもピークを迎えた。
できるだけ早めに帰宅し、ゆっくり風呂をつかったり、体を休めるように努めてきたのだが。大病の後のこと、体力の衰えは否めない。
それも、徐々に回復すること。焦らずに、適度に頑張り続けたいと思う。


俺の今週も怒涛のようであったが、世の中も相当激しい動きを見せた週であった。
9月1日の福田首相の辞任会見に始り。
特別何かを成した、という印象の少ない総理大臣だったと思う。登場の仕方も気色悪かったが、辞め方も厭きれるようであった。人柄の冷たさを垣間見た。
それにしても、防災の日に総理が災害を起こしてどうするのだ、と思う。

その後の自民党の総裁選についても。
あれは一政党のトップを決める選挙であって、総理大臣を決める選挙ではない。なのに、世間では同じように見なされていることに、俺は違和感を感じる。
俺は民主党など、他の政党のシンパではない。ノンポリである。それが、自民党でなくてもいいのではないか、と思うのだから、推して知るべし。
ま・・・、うさんくさい淫売みたいな人は総裁になってほしくない、とだけ思う。
(↑お分かりですか? 俺はあの人の政治姿勢に疑問感じるのです)


夜になってむしむししてきた。昼間の雨が大気の中に戻ってきたようだ。
エアコンの動作音が心地よい、静かな夜である。

九月の始まり。
粘りつくような湿度の高い一日であった。盛夏のカラッとした暑さとは違っている。
過ごしにくい一日であった。


本日より仕事再開である。
新学期を迎えた小中学生と共に、新たな気分で出勤・・・と思ったが、ここいらの学校では二学期制が導入されており、今日は二学期の始まりでも何でもない普通の日なのだそうだ。
何やら、俺の出鼻をくじくようである。
俺は俺なりに新学期のスタートを切るつもりで、出勤。

朝のミーティングで一応「今日から復帰しました」の挨拶をひとつ。パラパラと、気持ちのこもっていなさそうな拍手を受ける。
先輩からは「痩せたなー」とありのままの言葉をもらった。俺の気にしていることをわけもなく言い放つところが、先輩らしさ健在である。
部長からは「お元気そうで」との言葉をいただく。まあ・・・元気になったから出てきたのであるし・・・。久しぶりに会った患者さんによくかける言葉ではあるのだが・・・。それは、的を得ていない言葉使いであるように思われる。

その後は・・・先週まで静養していた人間とは思われていないかのような、扱いを受けた。
歩きはもちろん、座り仕事をしていても疲れた。何より、そうそう座ってもいられなかった。
俺はこんなにも忙しく働いていたのだろうか、と病み上がりの体がつぶやく。


足腰を鍛えなおされて帰宅。すでに筋肉が笑っておる。
慣れるまでしばらく、足腰がせつねぇのだろうなー。
もう明日には現場の手伝いがセットされたし。
人使いの荒いのは知っていたが・・・「人」使いというよりは、牛馬の如し。

今朝は気分で勝ちに行ってみたが、宵には心身ともに逆転されておった。
復帰第一戦は、調整不足で、俺の負け。

東海地方から関東にかけて水害をもたらした雨は、北陸にはかからなかった。それでも、ぐずついた日々の続くここ数日。
今日は久しぶりに晴れ間がのぞいた。うす曇りながら、気温は高かった。


本日をもって、長かった俺の臨時夏期休暇が終わる。
明日から勤務に戻る。
9月1日から勤務・・・なんだが、小学生の夏休みの終わり、のような感慨を抱く。
惜しいような、やり残しのあったような。説明し難い名残りを感じる。
人生においてそうそう無いであろう経験をした夏であった。
そこから何かを得たかというと、まだそれは総括しきれていない。
総括するよりも、これからの社会生活に生かしていければいいと思う。幸い、俺はこの経験をダイレクトに活かせる環境にある。誰かが教えてくれたように、身をもって癌を知る医師のひとりとして、患者の心と体に向き合えたらと思う。

窓の外で、ツクツクボウシが鳴いている。夏も終わり。
山の端に隠れた星は、その山の上から見れば、未だ天空にある。
場所が変われば、景色は変わる。だが、名も知らぬ星は輝き続けているのである。

昨夜は久しぶり、本当に恋しい思いでいた、メッセを楽しんだ。とても楽しかった。
飲みながらのメッセが最も好きな時間の過ごし方のひとつであることは、間違いない。楽しみにわれを失いがちだったのか、君の聞きたかった言葉を言うのを忘れてしまった。
今朝あわてて、メールにて伝えた。
俺が挨拶のように最後に呟く言葉を大切に思ってくれていた君に。改めてありがとう、と。


妻には内緒で、昼の酌をする俺である。酒は新潟の隠れた名酒「越乃景虎」である。書斎机の一番下の大きな引き出しの奥に、隠してある。
君はそれを知って、妻にはとうにばれてあると指摘した。俺は驚いた。
しばし考えて、その隠し場所はあまりにも平凡であることに思い至った。
俺の書斎には妻は入らないと思い込んでいたが、俺が自宅療養中だからというのもあって思い込んでいたが、そんなことは約束されたことではない。
そうなのだ!
ということは・・・・書斎机の別の引き出しの、エロDVDも見つかっているというわけですね・・・・(汗)。

ああ、でもエロDVDのパッケージは密輸品(?)ゆえ、けばけばしいものではない。仕事関係のDVDだとでも思っただろう。そうに違いない。いや・・・そっけないパッケージゆえに怪しいと思ったかもしらん。
すると、俺は困ったことになるのだが・・・。
ま、どーせ中身まではチェックしてないだろうから平気♪

しょうもないことに悩む午後であった。勝手な慰めを自分に与えて、寝入ってしまった。最近ついた習慣をなぞる俺である。
勤務が始まったらぴっとするのだろうか。



俺の現在の体重は72キロである。どんなに痩せた時でも75キロを切ったことなどなかった俺である。中学生以来の体重になってしまったわけだ。

183センチで72キロ。他人は理想的だと思うかもしれない。
だが、脚も尻も肉が殺げ、二の腕も細くなり、さらには胸板まで薄くなったように思われる。
癌だったのだから仕方ないと思わないでもない。
しかし、俺は厚い胸板が秘かな自慢だったのだ。哀しい。
スーツも白衣も胸板と肩幅で着るものだと思っている。君に昨日完全否定されても、まだこの信念は残っている。

というわけで、夕食は焼肉に行った。
脂の少なそうなハラミを注文。
高カロリーなものを食っても醜く太るだけだが、気分だけでも体重を増やすつもりである。本音を言うと、肉を食いたかっただけである。
さすがに脂っこい焼き肉はまだ無理があったのか、あまり食えなかった。横で飯をぱくぱく食う娘が恨めしかった。

運動ができるようになったら、また入隊する次第。

昨日、手術後初めての精神科受診をした。
雨模様の一日で、気持も沈みがちであった。あまり受診向きの気分ではなかった。
それ自体は健康な人にでもある、季節の変わり目の憂鬱感の、振幅幅の大きいものと考えられ、さほど心配は要らない。処方にも変化なし。

人恋しいような、独りになりたいような。アンビバレンツな心境にとらわれた一日であった。渦中の人にはけっこうしんどいものである。
缶入りカクテルなどという、小洒落たものを寝酒に飲む。アルコール分が低く眠くもならず。結局、薬に頼る眠りとなった。


本日も、曇りもよう。
洗濯が干せるだろうか、と妻が朝から心配している。朝っぱらから所帯じみていると感じ、返事はしなかった。
晴れ間が見えたり、翳ったりする・・・俺の気分もまさにそうだ。
寝室でぼんやり煙草をふかしているところを、妻に見つかった。ひどく叱られた。

禁煙の続いている君もがっかりしたろうね?
でも俺は煙草がないと寂しいのだ。口寂しい。
言葉を紡ぐべき唇が、言葉をなくして、煙草を身代りにほしがるんだ。

寂しさついでに、今晩も酎ハイを飲む。白桃味で口当たりがよく、うまい。
俺の口も白桃にあやかって、甘美な言葉を口にできればいいのに。皮肉な言葉ばかりが出そうで、嫌な一日であった。

今日は強い雨の音で目覚める夜明けであった。強く降ったり弱くなったりの雨音を聞きながら、朝を迎えた。


本日は娘は幼稚園の登園日である。娘を幼稚園に送り、妻を見送り、俺の時間になった。
家に一人きりというのも、あまり落ち着かない。今までは一人を楽しめたのにどうしたことだろう?
狭いマンションの部屋ではなく、広い一戸建てであるから落ち着かないのかもしれない。実家の古くて広い農家を思い出し、年月の慣れとは可笑しなものだと思った。

友達に久しぶりにメールなどするも、忙しいらしく返事がこない。
本を開いてみたら、仕事のことを思い出して不安定な気持ちに陥りそうであったゆえ、閉じた。
結局、ワーグナーを聞きながら眠ってしまった。オムニバスもので、カラヤン指揮の「愛の死」を聞いていたところまでは覚えている。
カラヤンの音楽で眠ってしまうというのが、俺には納得がいかないのだが・・・。
ま、心地よいワーグナーの才ゆえ、ということにしておく。
これほどないばかりに、眠った。寝てばかりであるが。今日は、娘のいない分安心してぐっすり深く眠れたように思う。


夕方からは楽しみにしていたソフトボールの決勝戦がある。俺は昨日のオーストラリア戦にいたく感動していたのだった。今日も勝って感動に浸りたいものだと思っていた。
すると、本当にかってしまった。最後はあっけないほどである。昨日の死闘とは雲泥の差である。拍子抜けした感はあるが、金メダルは嬉しい。喜ぶ選手たちの表情にはやはり感動した。
チラ見していた女子サッカーは残念な結果であったようだ。それでも強豪相手によく頑張ったと思う。


君も元気が出たか?
君の忙しさを癒すものは何だ?
忙しさの終わった時にしたいと思うことは何だ?
俺はそれが知りたい。

気温はさほどではないが、湿度の高い一日であった。こういう日は、結構体調にこたえる。

本日も一日娘の守りであった。
さすがに、俺のいるのに慣れたのか、便所にまで付いてくることはなくなった。
しかし、ひとり遊びに夢中になっていると油断すると、もういけない。
いつの間にか台所に入り込んでいた。そして、踏み台を持ち出して、シンクで水遊びである。台所の床が水浸しになってしまった。
台所の床を拭く自分に嫌気がさした。早く仕事に行きたいものである。

おお!仕事の嫌いな俺にしては何ということだろう!

実際、仕事に行きたくてたまらない。仕事をしていないことに罪悪感を感じる。
男は社会に依存する生き物だそうだ。すると、社会と隔絶している時の辛さは、女の人よりも強いのだろうか。

何年も子育てのために家にいた妻のことを偉大に思える。子供が生まれる前も、俺のわがままを聞き入れて、家にいずっぱりであった妻の気持ちを思いやると、俺は何と残酷なことを強いてきたのだろう、と思われた。


妻への罪滅ぼしと、自己満足のために、夕飯のおかずを作った。
茄子とピーマン・ニンジンの味噌炒め煮に、ほうれん草と切干大根のおひたし、それとカラスガレイの煮付け。
魚料理がしたかったのだが、夏場はあまり魚の種類がなく、輸入品になってしまった。
一汁一菜ではなかったが、うまい出来だったと思う。
なにより妻が喜んでくれたのが、俺はうれしい。

多少涼しい朝であったが、元気な太陽が現れると、日中の猛暑を予想させることであった。

今日から世間では盆休み明けである。妻は俺のことを心配しながらも、出勤した。
俺は娘と二人で留守番である。本当は幼稚園の預かり保育に娘を行かせるつもりであったのだが、何となく一人でいるのは退屈だったのと、ひとりで食事を摂るのはさびしいと思ったから、休ませたのである。
しかし、その決断があまり正しくなかったことは、すぐに判明したのだった。

娘は久しぶりに俺と二人になったのが珍しく思えたのか、俺の行く先々まで付いてくる。便所にまで付いてきて、中をのぞいているのには、さすがに閉口した。
昼飯は簡単に冷やしうどんで済ませた。ほとほと娘のお守に疲れていたからである。そういえば、どれほど体力が落ちたか、わかる出来事でもあったと思われる。
午後は娘が午睡してくれた。やっと俺のゆっくりできる時間になったわけだ。しかし、俺も娘の隣で寝入ってしまった。
妻が夕方に帰宅して、俺と娘を起こしていくれるまで、二人ともぐっすり眠っていた。

おかずの一つでも作ってやれば、妻の為にもなっただろうが。本日は何事もなさない一日であった。
寝てばかりおっては体力の戻りもよくない。明日は少し活動をしようと思う。せめて、昼寝などはせずに、一日おきていようと思う。


新しいPCを買って、エロ動画を試しに鑑賞する前に、yahoo!メッセンジャーをDLした。俺らしいと言うべきか、俺らしくないと言うべきか。
君が同じようにDLしたと聞いて、それを思い出した。笑えた。
それにしても、ずっと待っているのに上がらないね・・・。俺の体調を危惧してのことだろうが、日中ごろごろしているゆえ、少しくらいの夜更かしは何でもないのだ。気にしないでいてくれればいいのに、と思う。

入院中はオリンピックを見る余裕もなかった。しかし今は毎日眺めている。
やはり日本選手の活躍は見ていて、楽しくも嬉しい。
水泳の北島選手の素晴らしい金メダル。柔道の不振が気にかかるが、それでもメダルをいくつか得ているのは頼もしく思われる。
体格の優れた西洋人と互角に闘える選手たちはそれだけで、十分素晴らしい。

ところで・・・静養というのは退屈である。
昨日はさすがに大人しく家でごろごろしていた。しかし今日はもういけない。退屈で退屈で・・・。
妻は今日も家にいるように勧めた。当然のことであるが、おれは不満でしょうがない。
新聞の折り込みに入っていた電器屋のチラシの、PCが目にとまった。冷やかしにでも見に行ってみよう、と妻に訴えた。移動は車であるし、さほど歩くわけでもなし、PC売場を見て回るだけならいいだろう、と妻を説得した。
また、俺のマッキントッシュのノートの調子が久しく悪いゆえ、そろそろ新しいPCが必要なのだ、とも。
妻もPCを使いたいのだろうから、PCは二台必要だ、とたたみかけた。
妻はしぶしぶ納得した。


電器屋のPCコーナーは美しいデザインのPCが並んでいる。液晶も美しくなった。俺のマッキントッシュはもちろん、妻と共有の古いウィンドウズの画面とも雲泥の差である。
妻と二人で技術の進歩に感心することであった。
俺は新しいノートPCがほしくてたまらなくなった。
マッキントッシュとウィンドウズとどちらにしようかとはもう悩まなかった。
なぜなら、今では、仕事で使うようなソフトもウィンドウズで、用意されているからである。ウィンドウズで十分なのだ。そして、ウィンドウズのノートPCの方が種類も多くて選ぶ楽しみがある。

長いこと商品を見比べて、俺は妻に「これを買おう」と言った。
妻は突然のことに驚いた。俺のいつもの悪い癖で、自分の思考過程を口に出して妻に説明していなかったから、である。
説明するといっても、スペック的なことは妻に話してもさほど興味はないだろう。
妻は「本当に買うつもりやったんー?」と言った。
ダメなのか、と尋ねたら、古いウィンドウズだけではいけないのか、と答えた。
古いデスクトップのPCは5年も使った。買い替え時でもあるのだ。また、娘がカードゲームで遊ぶようになったゆえ、家族用にしておけばいいのではないか、とも思う。
何より俺が買う気になってしまったのだから、もう仕方がない。財布を握っているのは我が家では俺だから、である。

そういうわけで、新しいウィンドウズのノートPCを購入した。
ルーターの設定に、いつものごとく苦労したが、うまく接続できた。
そして、新しいPCで日記をつけている。快適である。
黒い漆塗りのようなキーボードのタッチがとても心地よい。HDDもメモリーも大きい。
そしてスピーカーが、また良いのだ。普通のノートPCとは思えないほどである。それが気に入って、この商品にしたわけでもある。


柔道が不振だと先ほど書いたが、無差別級で男女ともに頑張りを見せた。金メダルと銀メダル。実に素晴らしい。
銀メダルは負けてもらうメダルだとも言われるようだが、悔しさ半分、次への闘志を生むものだろう。それだけに価値のあるメダルだと思う。

久しぶりの日記である。いや、久しぶりの娑婆とでもいおうか・・・。
俺は本日無事退院をした。

7月31日に入院して、8月1日午後より手術を受けた。
12時30分に手術室に入り、19時少し前に終了した。
手術室に自分で点滴台を押しながら入場したせいか、不安感が沸き起こり、手が震えて仕方がなかった。腰に麻酔を入れた後はもう覚えていない。
気が付いたのは、ICUで妻と姉弟が「終わったよ。きれいに取れたって」と心配半分、安堵感半分の表情で、俺を見下ろしていた時であった。実のところそれさえも、夢うつつである。
妻が約束を半分だけ守り、君に電話をしてくれたと、後から聞かされた。何だか、話しにくそうであったというのは本当か? ちょっと苦笑することであった。

yukata_kuro.JPG術後は下痢になった。
いきなりのナースとのスカトロプレイである。最高に恥辱系であった。
もう恥ずかしいのもなにも無くなり、やりたい放題できる心境になった。その点では良かったとも言える(?)。
術後二日目くらいからは、激しい嘔気に襲われた。
これは長々と続き、不味い粥はおろか、重湯さえも受け付けず、30分ごと吐いておった。おかげで眠ることも出来ず。地獄の苦しみであった。
当然のこと、ナースのケツの観察などしておられなかった。
麻酔薬の副作用にしては長く続いた。精神的なものかもしれない。
俺が入院する直前まで担当していた患者が同じような状態であったので、何かの縁であろうか、と思うと可笑しく思える。しかし当時はそんな余裕はなかった。
また、血圧が一時高くなり、ふらふらするのにも苦しまされた。片腎になったせいか。
(↑そのころの俺の写真である。一応顔は伏せさせてもらう。パンツが垣間見えるのはご愛嬌である)

病気については、当初の予想通り腎細胞癌であった。周囲への浸潤はなく、画像診断上転移もない。細胞の悪性度はgrade1~3あるうちのgrade2である。病期はⅠ~ⅣあるうちのⅠであり、最も早期に発見されたこととなる。5年生存率は90%以上である。
ただし癌であることには違いなく、今後再発・転移の検査はずっと必要となる。


今回のことで、沢山の人の心配をもらい、暖かい励ましの言葉もかけてもらった。ありがたいと思う。ここでお礼を申し上げたい。

『みなさん、ありがとうございます。ご心配をおかけしましたが、早めに退院できました。
状態も問題なく、今しばらくは静養に努めるつもりです。
どうぞ、時折ここを訪れて、様子を見守ってくださいね。』

暑いが、爽やかな暑さ。まるで秋の始まりを思わせる空気でもあった。

先日の金沢の大雨では、友達数人から安否を気遣うメールをいただいた。遠くから、他人の様子を気に掛けてくれる、それのできる心象に感激した。
福井は激しい雨と雷の悪天候であった。4年前の水害を思わせたが、洪水の出ることはなかった。

今日は午後までの勤務にしたく思ったが、そういうわけにはいかず。貧乏稼業である、とつくづく思う。
午後を大きく割って、5時過ぎの退勤となった。
そうもあろうかと、妻に入院のしたくを任せておいたのでよかった。

帰宅後、したくの確認をした。
浴衣など、見慣れてはいるが、初めて着る病人装束である。
妻がサイズを心配して、試しに羽織らされた。丈が多少短かった。浴衣ゆえ、許容範囲であろうか。
娘が「○○のは?」と自分のも欲しがって、頓狂な言葉を掛けた。病人じみた柄の浴衣であるのにこんなものが欲しいのかい、と思うと、笑えた。

夜になると、妻は心配になってきたようである。
俺の病状や治療に関することは勿論、入院中一人になるのが心細い、とか言う。娘のことなど、手の掛かることも多いから、さもありなん。
不甲斐ない妻とも思える。しかし、たった10日あまりのことを不安がる妻を憐れと思う気持ちが、俺には多い。
病院と家を行ったり来たりしているうちに終わってしまうだろう、と慰めた。
病状については、手術して初めて詳しいところがわかるのであるが、努めて不安感を煽らないように、早期に発見されたことを強調しておいた。
妻は納得がいったようではなかった。それはもう、なすすべのない種類のことであろう。


明日入院をする。
あさっては手術だ。ちちははに貰った傷のない体にメスを入れられる。
怖い、と思う。それ以上に、癌を思ったからだを怖いと思う。
君が祈ったように、名も知らぬ明るい星に向かって念をこめる。
もう一度健康を取り戻して、ここに立てるように、と。


*明日より、ご覧の理由によりブログの更新を休止いたします。
 mixiおよびPCメール、その他すべてのネット活動も同様です。
 ご了承ください。

曇り空で始まった一日。

午前中、出勤。
数日前から起こっていた事件が解決した。残念な結果だったゆえ、爽快感はない解決であった。
一段落ついたころ、友達からメール。しばらく無沙汰をしていた古い友人である。
俺の体調を気遣うメールであった。失礼をしていたのに、俺を気に掛けてくれる。嬉しいことであった。
この友達は、ここぞというときには便りをくれ、俺に力を与えてくれる。ありがたい限りである。

でも入院中はナースのおしり撫では3回までだが、先生のおしりは無制限で乳も揉んでよし、とは。
女の先生でも、同じなのかなー(笑)。

あほなことを考えて、入院生活を楽しみにする俺である。←冗談だよ。


疲れたので、帰宅後昼寝。寝入り端に、激しい風と雷で起こされた。
天はたちまち、かき曇り、大粒の雨が落ちてきた。
慌てて寝室から出た。干し物を入れようとベランダに出たところで・・・。
足の裏が攣ったと思った。しかし、攣ったのとは痛みが微妙に違った。また、何かを踏んだような違和感があった。
叩きつける雨に濡れながら、踏んだものを見た。
蜂であった。足長蜂を踏んだのだ。刺された痛みであったのだ。

ちくしょーめ! 次から次へと・・・何かの崇りかと思うぜ。

雨に気づいて駆け上がって来た妻に、蜂がいたと、刺されたと訴えた。
「こんなところに蜂ー?大丈夫?」と妻は眉をひそめた。
大丈夫ではない。
ジンジン痛む足を託ちながら、濡れ始めた洗濯物を取り込んだ。残念ながら、洗濯物は生乾き状態に戻ってしまった。やり直さなくてはならないと、妻が悔しそうであった。
蜂の毒針を苦労しながら、除去。足の裏だったせいか、蜂が弱っていたのか、痛みはさほど続かなかった。



突然の雨は、灼熱した大地を冷やすのに十分な量であった。かえって蒸し返すこともなく、上がった後は涼しいとさえ思えるほどである。

夕食後、畑のおばさんに貰った西瓜を食う。皮が薄くて、非常に甘く、美味。
今年は暑いから、西瓜は甘くなったらしい。3人で小さめの西瓜ひとつを食べられた。それほど、旨かった。感謝感謝。
西瓜には美肌に良いタンパク質が多く含まれているとか、妻が聞きかじりの情報を教えてくれた。
そんなもの、俺は聞いたことがないのだが、あるのか?(苦笑)
そういえば、西瓜は腎臓にいいとか言うのは、聞いたことがあった。それもエビデンスは知らない。
昨日までと比べると、気温的には過ごしやすいはずだった。
だが、無風状態で、蒸し暑い。不快指数は激しく高かっただろう、と思われる。夕立の一つでもあれば良いのだが、最近は夕立のあるのを聞かない。

周りの人々にも、俺の状態が知れ渡る時期になった。
同僚たちに同情されっぱなしである。あまり同情を受けると、それはそれで嫌気の差すものだと知る。同情された時は一般にみな、どう対処しているのだろうか? 俺はそんなことにさえ戸惑う。


早めに帰宅した。日も暮れてから、俺の家の前で何やらしている人と鉢合わせした。一瞬怪しげな目で見たと思う。
しかし、それは町内会の月当番の人であった。町内会費を集めに来たのだという。俺は初めて、その類の人と顔を合わせたのだった。
「いくらですか?」と尋ねると
「1,500円です」と答えた。数か月分かと思ったら、一ヶ月分だとか。驚いた。
妻に訊くと、毎月集金に来ているのに今更何を驚いているのか、と笑われた。そんなことさえ知らない俺である。
昨日に引き続き猛暑日。フェーン現象の影響であるそうだ。


朝一番で、紹介先の病院受診。娘を預けてから、妻も合流した。
初診の後、血液検査、尿検査、超音波検査、胸部X線写真撮影、肺機能検査など、施行される。
新しく立て替えられた美しい病院内を行ったり来たりした。かなり歩いたと思う。
ものめずらしく周りをきょろきょろ見て、感心したり、これはどうかなーと思ってみたり。妻に悲壮感がないと、変な叱られ方をしてしまった。今から悲壮感を持ってどうする。

紹介元の病院でしたCT検査のデータを持参していったのだが、紹介先の病院でより高度な、3DのCT検査を実施したいとのこと。明後日の午前と言われたが到底無理なので、明後日の午後にごり押し気味に予約を入れてもらった。

やはり、ここでも診断は腎細胞癌。そうそう診断が変わっても困るが。
手術は一番早い予定で入れてもらって、8月1日である。前日に入院をする算段である。順調に予定が詰まっていく、と他人事のような感慨を持つ。
妻は紹介先のベテラン泌尿器科医の説明に納得したのだろう、「早く手術できてよかったー。若いから(進行が早いのではないかと)心配やったんやって・・・」と、ひとまず安堵した(?)ようである。


受診が終わって、職場に出勤。
仕事に遅刻していくのは好きではない。気分的に慌しくなるゆえ。
そして、必ずといっていいほど、何かが起こっているものだから、である。今日もそうであった。
しかも、次から次へと・・・。
正直、疲れた。

疲れたのと、病気への不安感(さほど自覚していないが当然ある)からか、厭世的な気分になった。
心配してくれた友達のメールにも、愚痴っぽい返事を出してしまい、われながら後悔先に立たず。優しい友達は、俺の事情を察して、発破を掛ける返事を再度くれた。後ろ向きな気分になっていたことを、友達のメールにて知った次第である。

早めに帰宅して、娘と風呂に入る。マリンノートの夏用の入浴剤が心地よかった。
娘の髪を洗ってやり、その柔らかさに改めて気づく。
娘のぽちゃぽちゃした小さな手。丸くて柔らかいからだ。
子供特有の甘い香り。
湯気を立てるピンク色の皮膚。
可愛らしい下着や寝巻き。
俺を見上げる二つの瞳。くりんと丸くて黒目がちの、妻に良く似たこげ茶色の眼。
そうして、風呂上りの娘を抱きとめる妻の、豊かな仕草。
そんなものを見ていると、何だか鼻の奥が熱くなった。感傷的になっていると思う。

ガシガシと、わざと強めに歯を磨いた。明日からはピシッとしよう、と決心した。
猛暑日。体温に近い気温であった。
元気なのは、ひまわりと蝉だけである。みな、暑さにやられた犬のように喘ぎながら、一日をやり過ごすようであった。
燃える太陽の夏。

今日は立ち仕事。背後に病魔を抱えていると思うと、何やら背中に圧痛があるような気になる。俺は気のせいに弱いのである。
それでなくても、慢性の腰痛に苦しんでいるのだ。圧痛なのか、腰痛なのかようわからん。
「他人の治療をしている場合じゃないのよ、自分が治療しなくては!」という言葉を思い出した。含み笑いが出る。
先輩に「いいことあったんやろ?」とニヤニヤされた。
いいことなど・・・病気を得たのに何を言うのだろう?と思う。先輩ならではの、ある種危険でもありうるボケ具合にも笑わされた。
もちろん、先輩の意味するような、色っぽい話など皆無である。妻と愛し合ってもおらん。というか、その気にはさすがになれんわい。


昨夜のメッセを反芻。謎のフレーズの意味がやっとわかった。
俺は恋はもうしないだろう、と先回の恋を失った時に思った。
しかし、また恋をした。それは恋といっていいのか・・・。性別を超えたもっと人間的な好意の感情ではある。いわゆる恋愛とは形が微妙に違うが、広義ではその言葉に含まれるのではないかと思う。
より尊い気持ちが俺の中に芽生えたのではないだろうか。

昨夜の、血のような赤い月はまた、今日は違った姿を見せるだろう。様は変われども、月は月。
そういう話だ。
晴れ。しかしながら、低い入道雲がいくつか、空を覆っていた。蒸し暑い。

午前中、仕事。
友達のメールで、昼飯はそうめんが食いたくなった。
正午間近だったので、慌てて妻に電話。「昼飯はそうめんで」と伝える。
妻は「ご飯あるからー、それ食べないとー」と困った様子であった。
ま、仕方ない。
熱い味噌汁と、納豆、冷奴の昼食となった。どうやら、妻も暑さに気だるく、料理をする気が起こらなかったようだ。ありあわせのものと思われる。しかし・・・大豆健康法にでも目ざめたのかと思うほど、大豆製品満載の食卓であった。

娘が幼稚園で育てていた、ミニひまわりが咲き始めた。
娘のものは、種が悪かったのか、土が悪かったのか、ひょろひょろとした茎のひまわりである。持って帰ってきたから、小さな手で一生懸命、毎日忘れずに水遣りをしていた。努力が実った、とでもいおうか。
咲き初めた貧弱なひまわりを見て、愛情を掛けることの意味を知る。


夕食は冷やし中華のリクエストで、昼間のリベンジ。
妻が薄焼き玉子を失敗して、何だか分厚い金糸玉子の載った料理になった。それも家庭の味である。
それにしても、妻は何時になったら、料理の腕が上達するのだろう。毎日、サボっているわけでもないのに。

・・・もうこれは、才能だね、奥さん♪

何でも立派にこなす妻では、俺は申し訳ない気分になってしまうから。これはこれでいいのだろう。
出来てない妻の方が、俺は可愛いと思っている。
どんな愛情でも、想われているのは力を与えてくれる。
俺も俺なりの愛情を返そうとする。


自分の感情をそのままに伝えたいと思うが、言葉は足りなくて。足りているはずなのに、もどかしくて。
どんな風に伝わっているのだろう、といつも不安に思う。
しかし、そんなことは心配するほどのことではないのだ。

俺は自分なりに君の言葉を理解する。俺の経験したことによって。俺の言語感覚によって。
さほど違わない感覚を持つ相手だからこそ、思いの相互作用が生まれる。
俺に伝わってくるように、君にも伝わっているのだろう。
素直といえば、これほど素直なことはない。嘘をつけないのだから。

きょうだいのように、仲の良い恋人のように、長年来の友人のように。
鏡の中のもう一人の自分をみるように。
理由はわからないが、これほど言いたいことのわかる相手もおらぬことよ。
おそらく、血を分けた姉弟よりも、妻よりももっと、近しい心の持ち主なのだろう。そう思い知らされる場面が幾度と無くあった。これからもそうなのだろう。
戸惑いながらも、それは俺にとって、とても楽しみなことである。


俺のブレーキランプは6回だ。もしくは7回である。
日本語の文法ではそれが正しいはずである。

*業務連絡です。

このページの右側の欄(プラグインというらしい)の下の方に、Yahoo!メッセンジャーのオンラインサインを貼り付けてある。
個人的な会話のご参考までに。
 君は気づいていないだろうから(笑)。

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